講演の中で僕は自分の人生を紹介するためにも、東京大学を中退したことを伝えた。そして東大は彼らにとって非常に現実的に検討する選択肢でもあった。
そして質疑応答の時間の中でタイトルの質問を高校一年生からいただいた。そのときうまく答えられなかった気がするので改めてもう一度考えてみた。
まず「意思を持って積極的に中退した」という誤解を解きたい
僕が中退したのは進学振り分けという3年生になるにあたって学部を選択するために必要な最低限の単位が3年連続不足していたためである。2年生までを4年以上できないというルールのため、3回目に落ちた時には退学を選ばざるを得なかった。別に単位がもらえて卒業できるなら卒業したかった(ような気がする)。
そういう意味で「かものはしプロジェクトという事業により集中するために積極的に意思を持って中退した」と言われるとちょっと微妙な心持ちになる。
もちろん、なぜ単位が足りなかったかというと、大学にまじめに通っていなかったからだ。そして、なぜ通っていなかったかというと、自分が担当していたIT事業が忙しかっただけでなく、楽しくて夢中になっていたからだ。
ということを総合的に振り返ると下記のような塩梅
- 本当に卒業しようと思えば事業をやりながら単位をなんとなく取る方法はあったかもしれない
- 自分自身がめんどくさかったのでやらないところは間違いなくあった
じゃあなぜ「卒業したい」と強く思わなかったのか
とすると、次の疑問は卒業したいと思わなかった理由である。これは今考えてもいくつかの理由があるように思う- そもそも「卒業して何をしたい」というビジョンがなかった。だから卒業しなければできないこと、について考えたことがなかった
- そもそも将来についてビジョンをもってキャリアを積み重ねていくということができるタイプではなく、今楽しいと思うことを続けていくタイプである
- そもそも東京大学に入ろうとおもったきっかけも「通っていた塾で、当然の選択肢として考えるような環境であったこと」「親族に東大が多く、受けることそのものには疑問を持ちづらかったこと」というあたりにある
- その中で積極的に受験した理由として(他の大学を一つも受けなかったわけだし)「なんか面白い人がいるに違いない」「途中で文系も含めて学部をえらべるということは今決めなくてよい。今後興味が生まれたものに忠実に決めればよい(ある意味で先送り)」というあたりがあった
親族の話
そういう意思決定(というより半ばなし崩し的ではあったものの)を経ても大事にしてくれた家族には本当に感謝している。とくに親族に東大出身者が多く(まぁこういう話を共有するのも勇気がいりますが)、そういう家庭環境の中で、「入ったはいいが、卒業せず中退をする」ということを(もちろん強く反対していたし、嫌だったろうとは思うが)最終的に認めてくれたのは自分にとっても大きなサポートであった。時代の違いもあったし、なによりもその理由がかものはしプロジェクトという応援してもらっていた取り組みであったことも大きかっただろう。いずれにせよ本当に感謝である。
今になって思う話
そんな中、今になって思うことは、辞めてよかったな、ということである。それは下記のような理由に基づく- 実際特定の職種なんかを除けば、仕事をしていく上で卒業したかどうかはあまり問われない(と感じるような業界にいるのかもしれない)
- 話のネタになる。スティーブ・ジョブズ、ビルゲイツ、ザッカーバーグといった偉大なる方々のお陰でなんかカッコ良い感じすらする
- 退路をたてたし、自分の決め方に自信がもてた。それは「みんながよいとかやるべきだと思うことじゃなくて、自分自身が夢中になれることをやる。」ということ
- いま考えても一番のリスクは大学を辞める云々ではなく、振り返ってみて「本気じゃなかったな」と思ってしまうような態度で仕事や研究だったり、家族と向き合うことだったりを進めてしまうことだと思う。それは自分の尊厳を少しずつ自分でうばっていく行為だからだ。僕はこれを「挑戦しないリスク」と呼んでいる
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