2012年8月3日金曜日

ConnectしないDotも大切な人生の一部。あわてず自分の人生を選ぼうねっていう話。

「人生に何一つ無駄なことはないんですよね。」って昨日ある方におっしゃっていただきました。僕もそうだと、もしくはそうであって欲しいと思っています。 でもそれって、「無駄」なことは沢山あるけど、それも全部「必要」だとひっくるめて、次の人生を考えるのが大切なんじゃないかな、と。

今日は、もうすぐそういう節目を迎えそうな、そして過去にくよくよしがちな自分に送る話。

本気で打ち込んだものをconnecting dotsする話

それこそどんな職に就いていても、たとえばボランティアだとしても、本気でやりきったことは絶対後でつなげることが出来ます。

自分で先に予測して点をうつことは出来ないが、後を振り返ってその点をつなげることが出来る。これはスティーブジョブズが言うところのconnecting dotsという話。(詳しくはスタンフォードの卒業スピーチをご覧ください)

僕で言ったら、「日本でやったIT」というDotと「カンボジアの農村・出会った人たち」というDotはきっとつなげることが出来る。

でも振り返ってみても、19歳のときにあらかじめその点を先に打つことは出来なかった。たとえうったにしても、そのとき考えたであろうことよりも、絶対今の方が面白い。

 

別に本気じゃなくても意味はある

さて、たとえ本気でやれなかったとしても、ただただ辛かっただけだとしても、本人の中でムダにしなければムダには決してならないんです。 充電期間として自分のバネをためてたかもしれない。いや、もう二度とあんな思いはしたくないっていう暗黒期間として意味をもつかもしれない。

もちろん本気で何かに打ち込む方がdotsはつなぎやすいと思うんだけど、「本気さもなきゃ死」なんてこたーない。それって苦しくないかな、と。意味なんか結構どうでもつけられると思うんですよね。

 

たとえ意味なんか無くても必要だったんじゃないかな

でもまぁ、そんなに後でごちゃごちゃ考えて意味なんか思いつかなくても良いと思うんです。 今くよくよしない方がよっぽど大切。

「私はあのとき何年もあんなことをしてたから、出遅れた。もう何者にもなれない」 そんなことを考えていたら危険ですよ。

その期間がムダだったかどうかは、今のあなたが前を向けるかどうかにかかっているのかな、と。 自分が自分であれば、「何者」にもならなくて良いし、「何者」よりよっぽど素敵なんだよ、と。

 

節目できちんと落ち着いて考えれば良い

結局、日々の出会いや就職先なんて実際は選べないですよね。例えば鬱になるかどうかとか、仕事に空白ができるかどうかなんてこともあんまり自分では選べない。交通事故みたいなもんです。繋がらないDotとか面白い。

それよりも、自分が節目で色々考えて決めるときにきちんと考えるのは大切だと思います。キャリアドラフトという考え方に近いのでしょうか。その節目だなと思うときに、きちんとゆっくりと自分と家族の声を聞けているか?

やってはいけないのは、お金の声を聞きすぎる、同世代の誰かと比べる、沢山プライドを持ってしまう、などなど。

3年ごとかもしれないし、10年ごとかもしれない。きちんと考えたいときがきっと来ますよね。その時に自分の過去を振り返ってだめ出しするようなことがあれば、是非今日の話を思い出してください。

 

あっ、ゆっくり考えるには、ゆっくりした環境が必要です。だから皆さん、たまーにゆっくりして、カンボジアにでも遊びに来てくださいね! というオチで。