2014年11月29日土曜日

お金ではかれない価値だからといって、本当に測らないと意味がない

ということでSocial Businessやってるからって利益だけで測られたらたまらないよね(いや、利益も大切だけど)。という思いと、資本主義に対する違和感を頑張って言葉にしてみる。なお、タイトルの「意味がない」は釣りです。

 

全部お金で測って良いんでしょうか?

「全てを金銭的な軸に正射影するから多次元な価値が失われ、金銭的な価値が過大評価されるんだ」という問題意識がある。

例えば、創業社長の社会的な思いが、やがて株式会社になり、2代目社長になり、ステークホルダーが増えていく中で、金銭的な価値(やそれの基となる他の価値)で判断されるようになって、なんのために存在しているのか良くわからなくなるというようなことが起きる。(って大企業の人から聞いたんですが本当に起きてるのかしら)

資本主義で「雇用を守る」ということの価値はほとんど利益を出すこととイコールだから、それが大切です というのはもちろんなんだけど、経営者にとって「雇用を守るために会社がある」、もしくは従業員にとって「雇用され続けるために働く」「雇用によって家族の安心と安全を守る」といったときに、「あれっ、人が集まってなにか作るのってそのためだけだっけ?」という話になるだろう。

利益は必要条件であってゴールでは無い とおっしゃった偉い経営エッセイストもいらっしゃったし、最近だと下記の記事も参考になった。

その意味で、「ほぼ日」は「商品」ではなくて、「友達に譲るもの」を作っていて、それをお金と交換している、というふうに考えています。資本主義というのは、「商品」を「お金」と取り換える仕組みですが、僕らは共同体の中で、「今日、おいしくお芋がふかせたのよ」「うちでは栗ができました」みたいなやり取りをしたい。で、物々交換が大変な時に、「じゃあ、お金でいいよ」みたいな。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20141118/273974/?P=6&mds

もちろんサービスを通じて社会を変革するんだという志がある団体・企業も沢山あるので、企業ダメだ、みたいな話がしたいわけではない。

 

お金で測れないと何が問題なの?

さて、どっちの仕事の方が稼げるかということは比較的簡単に測りやすく比較しやすい。しかし例えば、「どっちの仕事の方が社会に貢献するか」ということはかなり絶望的に測りづらい。(※「社会に貢献しているかどうかという雰囲気をどれくらい直接感じるか」というのはもう少し測りやすいでしょうが)

測れなくて比較できないことは交換できない。交換できないものは色々とスケールしづらいだろう。例えばマネジメント上も改善しづらいし、競争原理が働きづらいし、コミュニケーションが難しいので組織化もしづらいかもしれない。

例えば、どちらのNGOのサービスの方が女性の内面の自立を助けているか ということを効率も含めて比較し選択するのはかなり困難であるため、どちらか一方のNGOのサービスが劣悪だったとしても淘汰されづらい。SROIだって他団体の比較に使うためのものではないと思うし。

 

じゃあお金で測れない価値を追求する僕達は何をすればいいの?

じゃあ明らかに金銭的な価値という軸だけでないところで戦っている僕達はどうすれば良いのだろうか?いくつか考えてみると例えば下記のようなことを思いついた。まぁ結局仕事頑張れ、っていうことですよね、と思う土曜日の朝。

1.測って比べる

測りづらいって自分で書いておいてなんだけど、大切なのは測りづらいことにめげずに測って比べること。社外比較には使えなくても社内での比較には使えるため改善とコミュニケーションは改善出来る可能性がある。これはアウトカムを指標化してそれをとりましょう、と言っていることに近い。

ただ、例えば、人の心の内面や尊厳って本当に測れるんだろうか、測ることに意味はあるんだろうかという課題は常について回る。これは僕の趣味もあるかもしれないけど、それでもめげずに測るべし。

参考になるのは、Social Progress Index( http://www.socialprogressimperative.org/ TEDがわかりやすいかも )みたいなものや、人の社会問題解決能力を測るSPSI-R http://www.mhs.com/product.aspx?gr=cli&id=overview&prod=spsi-r みたいなアプローチだろうか。 人間開発指数とかもそういう意味では頑張っているかもしれない。(貧困指数も最近は複数の指標を組み合わせるIndice型にしているところもあるんだよね とどっかで見た)

評価の話も大切になってきて、きちんと対照群をとって測るとか、出来ればランダム化比較試験して測るということが大切になる。

2.金銭的な価値に置き換えてみる

SROIや、最近はやりの(?)「(例えば再犯防止の文脈で)$1をこのサービスを投下すると社会的コストが$5減ります! ($5かは覚えてないけど英国のSocial Impact債とかこういうロジックだったような)」「(例えば公教育のDropout Preventionの文脈で)$1の援助でこの子の生涯収入は$11増えます (Communities in Schoolの事例)」みたいな形で金銭でコミュニケーションする、という感じ。きちんとした根拠や調査に基づいてこれが出来るとかなりコミュニケーションが加速するイメージがある。最近のNGOの勝ちパターンみたいな。

貧困問題を貧困率で測るとか言うのも近そう。

「管理費率をXX%以下に下げます」みたいのはちょっと違う。

3.サービスを届けるプロセスを管理・改善する

CMMIでも、いやそれこそPDCAサイクルの周り具合でも良いけど社会サービスを届けるプロセスやリソースを頑張って改善し続けるというのも良いだろう。他団体と比べることも出来やすい。優秀な人・組織が良いプロセスでサービスを届ければ、サービスに価値が出やすいだろう という間接的な評価である。これが良いのは人材育成や管理方法などは企業で発展した方法をアナロジーを聞かせて持ち込むことが出来るあたり。

2014年11月10日月曜日

成長について

尊敬する方のTweetをきっかけに考えてみた成長話。抽象的であまりまとまってませんが。

事業に自分の成長をリードしてもらった20代。でも、、

起業してから上司がいないことについて不安な時期が結構あったように思う。しかし今にして思えば、自分の成長をリードしてくれたのは事業であった。リードというか事業が自分の成長の鏡であった気がする。つまり事業を運営していく中で自分の嫌なところや苦手なところなんかは良くわかるわけだし、得意なところが事業の進捗に直結するわけでそういうところを磨いたりしてきた。

何よりも僕は受け身な性格なので、人に「ここ直せよ」「ここ伸ばしたら」「(組織としては)ここを伸ばしてくれたらうれしい」と言ってもらったりとか、尊敬する人のここをマネしたらいいんじゃないか、ということが成長するエンジンであった。

しかし、事業が求める自分になることと、自分が求める事業にすることについて考えてみると、(どちらも大事でバランスの問題とはいえ)あえていえば自分に取っては後者が大事だなぁと思ってきた今日この頃。そう気づくと、事業の慣性に抗って新たな動きを作っていく必要が出てくる。その中で、まず自分自身の成長のきっかけ、方向性、仕方を変える必要があると気づいた。

もう少し具体的にいうと、今の事業の完成度を高めるため、駄目なところを直したり、稼ぎやすい・わかりやすい専門スキルを磨いたり、組織の穴を埋めるという、reactiveなものではないほうがよい。子育てとの両立が大変だからと、効率や能率だけを追求するような働き方でもない。

特定のスキルを否定するわけではない。むしろ、それにいたる自分の選択の起点を見直すことが大切なのではないか。そこでキーワードになるのが「自分の在り方」という言葉である。

自分の在り方に正直に、自分で道を作る30代

自分の成長は自分で決める。うまく言えないのだけど、それは自分の在り方(being)と組織やリーダーシップの在り方を一致させていく作業でもある。そのためには、自分の成長の勝ちパターンそのものを見直すことが必要になってくる。もしくはもっと踏み込んで、自分のキャラ(=自分の頭の中で規定していた”being")としてあきらめていたところも1度リセットするということもあるかもしれない。

なお、事業の方向性、仕事の進め方、仕事と自分の関係性、というだけではなく、家族の方向性、パートナーシップや育児の進め方、家族と自分の関係性という話にも、コミュニティと自分の話にも通じる話。

自分の声を聴き、自分が次に足を出す先を考えて、リスクをとって選んでいくという選択が大切なんだろうな、と考えている。受け身な僕には辛いのだけれど、この先の成長について教科書はあまりない。30代で良い意味でほっぽり出された感覚が持てた。

「在り方に正直になる」を誤解していた話

じゃあ具体的にどうすれば「自分の声を聴いて在り方に正直になれるの」か。

まず、最近の気づきは、メンターからのフィードバックやエニアグラムなどを通じて自分の性格を深く理解したつもりになっていたことそのものが、自分の殻を作っていたということだ。「自分は本当はこういう人である」ということが、自分にとって言霊のように、選択や行動を規定しがちであった。

もちろん20代の格闘を通じて、自分の価値観や経験、自分を形作ってきたモノを知ることは非常に有意義であった。しかし、その一方でそれを知ったとして、「在り方に正直になる」といったときに、ただ自分に取って心地よい状態をキープするというように自分で誤解していたんだと愕然とした。結局自分のコンフォートゾーンにとどまりがちだったというシンプルな話であった。

例えば今の自分に満足していない自分もいるし、性格に合わないけどこういう方向に進んでみたいという自分も自分。そこも含めて自分の声を聴いていきたい。素直に居心地の悪さを受け入れるようなそんな意志決定も出てくるんだろう。やらされるチャレンジじゃなくてやってみるチャレンジというか。

また違う自分と出会う旅に

その結果、自分としても「あれ自分ってこんなこともできるんだ」「こんな事にも感動するんだ」という気づきがあったりだとか、他の人から見て「青木さんといえばXXだと思ってたのに」という期待を裏切ったりすることもあるだろう。

自分の哲学やビジョンを深めたり、逆に手放したり(というかそっと脇に置いてみる感覚?)しながら、意志を大切にのびのびと成長して行きたいと思っております。ワクワクするなぁ。

まぁ成長成長って言ってる時点で若さ爆発してるな、と思うんですがそこも込みで一つ宜しくお願いします。