尊敬する方のTweetをきっかけに考えてみた成長話。抽象的であまりまとまってませんが。
事業に自分の成長をリードしてもらった20代。でも、、
起業してから上司がいないことについて不安な時期が結構あったように思う。しかし今にして思えば、自分の成長をリードしてくれたのは事業であった。リードというか事業が自分の成長の鏡であった気がする。つまり事業を運営していく中で自分の嫌なところや苦手なところなんかは良くわかるわけだし、得意なところが事業の進捗に直結するわけでそういうところを磨いたりしてきた。
何よりも僕は受け身な性格なので、人に「ここ直せよ」「ここ伸ばしたら」「(組織としては)ここを伸ばしてくれたらうれしい」と言ってもらったりとか、尊敬する人のここをマネしたらいいんじゃないか、ということが成長するエンジンであった。
しかし、事業が求める自分になることと、自分が求める事業にすることについて考えてみると、(どちらも大事でバランスの問題とはいえ)あえていえば自分に取っては後者が大事だなぁと思ってきた今日この頃。そう気づくと、事業の慣性に抗って新たな動きを作っていく必要が出てくる。その中で、まず自分自身の成長のきっかけ、方向性、仕方を変える必要があると気づいた。
もう少し具体的にいうと、今の事業の完成度を高めるため、駄目なところを直したり、稼ぎやすい・わかりやすい専門スキルを磨いたり、組織の穴を埋めるという、reactiveなものではないほうがよい。子育てとの両立が大変だからと、効率や能率だけを追求するような働き方でもない。
特定のスキルを否定するわけではない。むしろ、それにいたる自分の選択の起点を見直すことが大切なのではないか。そこでキーワードになるのが「自分の在り方」という言葉である。
自分の在り方に正直に、自分で道を作る30代
自分の成長は自分で決める。うまく言えないのだけど、それは自分の在り方(being)と組織やリーダーシップの在り方を一致させていく作業でもある。そのためには、自分の成長の勝ちパターンそのものを見直すことが必要になってくる。もしくはもっと踏み込んで、自分のキャラ(=自分の頭の中で規定していた”being")としてあきらめていたところも1度リセットするということもあるかもしれない。
なお、事業の方向性、仕事の進め方、仕事と自分の関係性、というだけではなく、家族の方向性、パートナーシップや育児の進め方、家族と自分の関係性という話にも、コミュニティと自分の話にも通じる話。
自分の声を聴き、自分が次に足を出す先を考えて、リスクをとって選んでいくという選択が大切なんだろうな、と考えている。受け身な僕には辛いのだけれど、この先の成長について教科書はあまりない。30代で良い意味でほっぽり出された感覚が持てた。
「在り方に正直になる」を誤解していた話
じゃあ具体的にどうすれば「自分の声を聴いて在り方に正直になれるの」か。
まず、最近の気づきは、メンターからのフィードバックやエニアグラムなどを通じて自分の性格を深く理解したつもりになっていたことそのものが、自分の殻を作っていたということだ。「自分は本当はこういう人である」ということが、自分にとって言霊のように、選択や行動を規定しがちであった。
もちろん20代の格闘を通じて、自分の価値観や経験、自分を形作ってきたモノを知ることは非常に有意義であった。しかし、その一方でそれを知ったとして、「在り方に正直になる」といったときに、ただ自分に取って心地よい状態をキープするというように自分で誤解していたんだと愕然とした。結局自分のコンフォートゾーンにとどまりがちだったというシンプルな話であった。
例えば今の自分に満足していない自分もいるし、性格に合わないけどこういう方向に進んでみたいという自分も自分。そこも含めて自分の声を聴いていきたい。素直に居心地の悪さを受け入れるようなそんな意志決定も出てくるんだろう。やらされるチャレンジじゃなくてやってみるチャレンジというか。
また違う自分と出会う旅に
その結果、自分としても「あれ自分ってこんなこともできるんだ」「こんな事にも感動するんだ」という気づきがあったりだとか、他の人から見て「青木さんといえばXXだと思ってたのに」という期待を裏切ったりすることもあるだろう。
自分の哲学やビジョンを深めたり、逆に手放したり(というかそっと脇に置いてみる感覚?)しながら、意志を大切にのびのびと成長して行きたいと思っております。ワクワクするなぁ。
まぁ成長成長って言ってる時点で若さ爆発してるな、と思うんですがそこも込みで一つ宜しくお願いします。