2007年12月3日月曜日

ドラゴンボールから考える自分の人生

何が自分にとってうれしい瞬間なのかを突き詰めていくことが、自分を再構築するきっかけになるのではないか?ということ。

自分にとって何故か忘れられないアニメのシーンがある。とはいっても細かいところはだいぶ忘れてしまっているんだが。
それはドラゴンボールの1シーンで、多分アニメだけのオリジナルである。しかもよくあるフリーザやセルを倒すといった物語の大筋とは関係ない、繋ぎの回だ。
地球を救って一躍ヒーローになった彼らが休日に
※ってか彼ら戦いがなかったらニートですけど
、ちょっと街を救ったりするという話。
街の人は最初気づかないんだけど、救ってもらった後に、あ、もしかして。という話になる。
で、なんでこんな普通のアニメにありがちな話が好きかということを真剣に考えたことが無かったが、真剣に考えてみる。

  1. 第一にヒーロー達が十分な力をもっていること
    まぁ何回も地球を救っていれば充分証明されている。これは前提。それを証明するために悪がいるといっても過言ではない。
  2. それを(リアリティのある)いいことに使っていること
    もちろんフリーザもセルも倒してもらわないと困るんだが、まぁそれはアニメ的に当然の流れというか、そもそもリアリティ無いというか。
    ※ドラゴンボールにリアリティ求めてないけども。
    それよりも町の人が強盗に襲われてるシーンの方がリアリティがある。実際に困るよな、という感じで。
  3. 見返りを求めない
    実際に地球を救った彼らは特に表彰されるわけでもないし、そのことをおおっぴらに言うわけではない。
    ※まぁだからサタンがいないと困ってしまったという点もあるけど。
    でも、彼らの行動原理からするとそのあたりはどうでもいい。かれらは仲間を守ることと、いい戦いをすることにしか興味が無いように見える。
    ※その辺ワンピースよりも戦い好きというか。
    だからちょっとした村で何かがおこってそれを助けても、ろくにお礼も名誉も与えられずに出て行く。
    ※かどうかはやや記憶にないんだけど、自分の好きなストーリーとしてはそういう感じ。そのあたり水戸黄門よりいやらしくない。


まぁこういう風にまとめるとすごく普通のヒーローみたいな感じもするけど、ノリ的は水戸黄門以上ワンピース以下といったあたりだろうか?いつか目的意識とか報酬に対する考え方あたりの2軸で切ってまとめてみたい。

この話を彼女にしたところ、ドラゴンボールを知らなかったためか、いまいち腑に落ちなかったようだ。というか最近の平成生まれの子ども達はドラゴンボールを知らないんじゃ無かろうか。知らんけど。

クリリンとして学芸大学のホームで戦ったことのある自分としてはすごくしっくり来るたとえなのだ。勿論夢だけど。



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