「青木さんの宝物はなんですか?」
スタディーツアーで来た高校生と語り合う時間の中で、こんな質問をもらった。何気ない質問かもしれないが、なんとなくその時の自分に刺さったのでメモ。
まず頭に浮かんだのは娘のこと、家族のこと。まぁベタですが自分以外で自分の本質を大事にしてくれる存在ということでしょうか。
ただあまりそれ以外浮かんでこなくてそもそも「宝物」というメタファーが持つ、何かを所有していてそれに感謝する という感覚があまりないんだな、と気づいた。
面白かったので色々と考えてみたら次に出て来たのは
- 自分の親が自分を愛情を持って育ててくれたこと、呪いをかけなかったこと
- 周りにいる人たちが人間として僕を大事にしてくれていること
- 生まれた場所が安全で思う存分学べる環境があったこと
とかであった。「自分の努力や選択ではない範囲で」「他の人にとっては当たり前ではない環境」についての感謝ですね。
今が宝物です
最後に浮かんで来たのは、今この瞬間(その時であれば高校生と話している瞬間)が楽しい、ということだった。全てに感謝、みたいになるとちょっとポエムな感じでこっぱずかしいんだけども、割とありがたいとおもっている。
今この文字を打っている瞬間も僕の細胞は分裂をしていて、DNAはコピーを続けているということ。僕が凹んでもなんで生きているんだろ、とか悩んだとて、勝手に生き続けようとする体。それは僕が努力していないにもかかわらず、当たり前ではない環境として与えてもらったまず最初のかけがえのないものですね。僕の意識にとっては。
前に倒れそうになったら自然と足が出る、ということ
どこかで書いた気もするのだけど、僕の小学校の校長先生(だったか教頭先生だったか)が生徒の質問に答えた言葉が割と気に入っている。登山の時だったかな
「先生、疲れて歩けません。どうしたらいいですか?」
という質問に対して
「前に倒れてみなさい。自然と足が出るから。」
という回答だったはず。
先生にとっては単なる冗談だったかもしれないけども、今考えてみると、「自分はあきらめても、ほら体は生きたいって言ってるよ。頑張りたいっていってるよ。 」ということかもしれない。
生きる「意味」に迷ったら、体に聞いてみるのも良いかもしれない。
もちろん、ひたすら前に進めや! みたいな話じゃないですからね。