2017年11月25日土曜日

3秒、3分、それ以降

ストーリーでうるのか、物でうるのか

僕たちは紛れもなくものづくりをしてその商品をカンボジアや日本で販売しております。なのでフェアトレード、エシカルファッションなどというくくりで捉えてもらうことも多く、実際ものづくりを行うその場所や、社会インパクトについては非常に大きなこだわりがあったうえでものづくりをやっています。

そうすると特に日本で販売をおこなっていくときによく問われることが、「果たして何を売りにするのですか?ものですか? 背景にあるストーリーですか?」という話です。色々な方とそのお話をする中で、わかってきた 共通点、人による違い、そして僕たちが大切にしていることについて考えてみます。

アパレルの方には「当然ストーリーだよね」、フェアトレード好きの一般消費者には「もので売れますよ!」と言われる

人は普段みて考えているものと比べて僕たちの商品やブランドをジャッジしています。
普段から非常にたくさんの良いものを見ているかたにしてみれば、まだまだ僕たちの商品は凡百のアパレルと一緒。土俵にはのっているものの、結局14000社あると言われるアパレルと同じ商品を、より少ないお金と人材で売っていくってそれはムリですよね。むしろ、ストーリーが新しい。

一方NGOや「支援」という文脈からものをみられた方は、そのマーケットの中で本当に日本人が普段使いしたくなるようなクオリティの商品が少ないこともあり、私達の商品をお褒めいただくことが多いです。

でも、入り方は多少違ったとしても、結局「人に勧めるか」「何度も買うか」という点で考えたらあくまでも「まず真っ当な商品を出して土俵にのって」「ストーリーで差別化をしていく」という当たり前の結論しかないわけです。それが殆どの商品でできていないから、フェアトレードで成功しているのはどうしてもチョコレートとコーヒーに偏ってしまう。

「3秒、3分、それ以降」の順番を忘れない

ということで、僕たちが大切にしているのはあくまでも人が物を買う順番でものを考えようということです。それがこの言葉。

みなさんがものを買うとき、まず最初は一瞬で判断していると思うんですね。長くても3秒。そこで「カワイイ」かどうか。本当に微妙なフォルムの違いだったり、detailの作り込みだったり、色合いだったりを本当に一瞬でジャッジします。自分が取捨選択してきた商品のデータベースを蓄積して作った価値観のベクトルとの一致でという感じでしょうか。人それぞれ沢山の種類の違う「カワイイ」がありながらも、色々な人同士での共通のNGがあるように思います。

そしてその次の関門が「3分」。そこでもストーリーが入ってくる余地はありません。そこで行われるのは、「素材、縫製などのつくり、機能、丈夫さ、使用シーン」と「値段」を較べるという作業じゃないでしょうか。

ストーリーの話はやっとこの後に出てきます。買う最後のひと押しになることもあるかもしれません。ただ多くの場合は衝動的にかった後になって、「なんでこのブランドのもの買っちゃったんだっけ?」「そういえばどんなとこだっけ?」と興味をもったときにそのブランドを「好き」になるのがストーリーだったりします。

最初の二つの関門は殆ど自動的に店員の説明の前に行われるステップなので、ものと置き方でその関門を突破しない限り決して沢山の人に商品が届くことはない、それを肝に命じてものづくりをしています。

あたりまえ、だけど長い道のり。

これ、偉そうに書いてるんですが、本当にあたりまえのことです。でもクチャというカンボジアの農村で始めた工房で9年前にものをつくりはじめたときには、日本で商品販売のその土俵にちゃんと上がれる日が来るとは想像できませんでした。

クチャ村からヒカリエへ
土俵にのぼったらそこからは違う戦い方があります。それをまた語れる日がくるまで粛々と頑張ります!

2017年11月3日金曜日

続・仕事ができることより大事なこと

「仕事を一緒にしたい」と思わせる関係性を作るための2つの自覚

さて、最後に最近やっと思いが至った、関係性を築くために常に気をつけなくてはけないこと、それは自覚することです。
何を自覚するのか、それは「自分のメンタルモデル」と「場や関係性を支配するランク」の2つでしょうか。

メンタルモデル、認識の歪みを自覚する

前者はつまり思考のクセに気づくことです。U理論のダウンローディングだったり、システムコーチングで言う所の推論のハシゴだったり、まぁ認知行動療法でよく言われる事実から解釈への流れだったりが近いのでしょうか。書いておいてなんですが、それぞれをテーマに勉強して掘り下げていきたいですね。

人はかなり無意識に思考をショートカットするクセがあります。ヒューリスティックに効率的に物事を処理するための工夫です。これは気をつけないと自己認識の歪みや差別にすぐにつながります。

「彼は高卒だからXXXだよね」「おれはどうせダメだから彼が言っているのはXXXという意味に違いない」とかかなり勝手な当てつけや解釈が入っていることが多いです。 普段はそうやって物事をジャッジしていかないと意志力を使いはたしてしまうのでしょうがないのです。

ただうまくいかないとき、ここぞというときに相手の言っていることをきちんとゼロベースで受け止めたり、自分の思考の歪みに気づいたりする勇気を持つことが大事です。これが1つ目の自覚。

ランクを自覚する

で、後者の「ランク」っていうのが厄介なことでして軽く説明しますね。というかランクについてブログを書きたいなと思って今やっと到達したんですが、前説長かったですね。ランクっていうのは人間のランキングみたいな話ではなく、自分が感じる「段差」の話です。
※僕が読んだのはアーノルドミンデルの紛争の心理学という書籍でですが、うろ覚えなのでこれも勉強リストに。

みんなで話し合おうと思ってミーティングを持ったとき、その場を支配するその人たちの「属性」の差が健全な議論を邪魔することがあります。

例えば「知的レベルの差」「学歴の差」「収入の差」「被害者性の差」などなど。知的レベルの差が場を支配している例 といえば、「頭がいい人しか発言できない、深い発言だけが許される」という認識のことです。

重要なのはその差と感じているものはあくまでも「認識」であって、事実とは全く限らないということです。特に「自分は頭悪いので」と思っている人にありがちな「自分の意見は大したことないので言わないのでおこう」「とてもじゃないけど怖くて発言できない」という「認識」が起きがちですが、意外と周りの人は全くそう思っていないということはよくあります。前段の認識の歪みともからむので、まずはそれが「自分の思考のクセ」から来ている思い込みじゃないか ということを疑う勇気が必要です。

逆に、「頭良い発言を繰り返している人」だったとして、その人も自覚が必要です。ミーティングの目的にもよりますが、その発言や立ち居振る舞いが作り出しているランクに気づかないと、場や関係性から心理的安全がどんどん失われていきます。

例えば権力のある人が偉そうにしていたとして「上から目線で話されるので関係性が構築できない」というのはわかりやすいケースです。

ただ、分かりづらいケースが、「被害者意識が作るランクの差」でしょうか。「自分は被害者だから」 → 「自分の話は無視されやすい、大切に扱われるべきだ、あの人がああいう言い方をしたのは偏見じゃないか」みたいなことを自分で先に勝手に想定して相手の言うことを受け止められないことが多々あります。

いずれにせよその場の関係性や自分自身の喋りにくさ、そして人との健全なコミュニケーションを阻害する要素として、その場その場を支配する「ランク」というものがあるんだと思ってください。そしてそれを自覚することは、関係性を構築するのに役立ちます。

議論の土台のズレ、発言の土台のズレが間違った解釈をうみ、関係性を壊していくというのは多分すべての人が経験を持っていることではないかと思います。そのときにふと、お互いの共同作業として「どういうランクが場を支配しているか」「それによってどういう発言がうまれたか、抑圧されているか」「それによって自分の解釈はどうゆがんだか」ということを見つけられれば、必ず相手との関係性を良くヒントを得ることが出来ます。

気づいた人が一歩進んでその段差を乗り越えてみる、そうすると驚くほど話が通じるようになることがあるのです。

結局仕事を一緒にしたい奴って?

色々関係性やコミュニケーションについて難しく書いてしまいましたが、何か参考になったでしょうか? 自分が囚われているメンタルモデルやランクを自覚できるようになると本当にラクにいきれるようになり、相手が囚われているメンタルモデルにきづけるようになると傷つかずにその人の言葉を受け止めることができるようになります。

メンタルモデルっていうより「とらわれ」とか「呪い」とかの方がわかりやすいかもしれませんね。

結局人と真摯に向き合って生産的な関係性を築いていける人と一緒に仕事をしたいよね、そのために大事な考え方ってなんだろう、という話でした。

仕事ができることより大事なこと

「仕事ができるやつより一緒に仕事をしたいと思われるやつになれ」

20代前半で師匠から言われた言葉の中でも印象深くて、それから大事にして来た言葉です。僕自身わりとこの言葉に救われたり、深い学びをもらったりしてきました。この言葉を自分なりに咀嚼した過程をゆっくりと記事を分けて皆さんと共有できればと思います。

仕事ができるやつ ≠ 一緒に仕事をしたいやつ

「え、仕事ができるやつ=一緒に仕事したいやつじゃないの?」と思ったのが最初の衝撃でした。それも当時の僕の憧れは「お世話になっている師匠や経営者の方々と一緒に仕事をする」ということにあったので、それには「ビジネスマンとして経営者として優秀にならなくてはいけない」と思い込んでいたからです。

今考えるとそのときの僕の「優秀さ」の物差しはとっても狭くて、「思考力」とか「戦略」とかそういうことしか見えていなかったように思います。

なお、この2つのグループが必ずしも一致していないといっているのであって、仕事ができないやつと仕事をしたいよね、という意味ではないですよ。

じゃあ何がその二つを分けるんだろうか、それがおぼろげながら見えてきたのは30歳くらいになるころかもしれません。それを僕なりにまず説明するために、仕事ができる→生産性、一緒に仕事をしたい→関係性と読みかえてその関係性から考えていきたいと思います。

生産性と関係性の話

一般に生産性が高い組織と関係性が良い組織は両立するのが難しいと思われがちです。詳しくはPM理論などをみてもらえればと思うのですが、どちらを大切にするか、つまりコトに注目するかヒトに注目するかで仕事の進め方が異なるためでしょう。

まず「組織は目標を達成するためにあつまっているので、生産性が高い人が一番えらい。仲良しサークルみたいな働き方をして成果が出てない人たちは全く駄目である。」と考えている方がいたら要注意かもしれません。僕が思うに、組織人である前に僕たちは一人一人の人間です。そして人間は論理の前に感情で物事を判断しています。それを軽視して、コトだけに注目が集まるチームはプロジェクトの成果はでたりしますが、人材が成長しなかったり、チームが継続しづらくなります。

またプロジェクトの成果は水物ですから、成果が出ているときは表面に出てこなかった問題が、一旦状況が悪化すると噴出するということがあります。そういうときに関係性のないチームは、役割分担を見直したり、お互いの成長に貢献したりという機能が弱く、チームとしてのリカバリー力がないということが起きえます。

もちろん、「コト < ヒト」ということではありません。PM理論でも状況によって生産性と関係性どちらに注目するのが良いのか、という状況ありきの話ですし、チームが生き物として成長していく地図には二つの方角があるんだ、と理解してもらうのが良い気がします。

もう少し具体的に地図の例を説明してみます。例えばチームの生産性を伸ばす方角を北、関係性を改善する方角を東と考えてみてください。もちろん目指すべきは北東です。地図の使い方としては今自分たちがどこにいるのかを意識して、さらに北に向かうのか東に向かうのかジタバタしてみるという話になります。

例えば成果が必要なチームの状況だととらえ、北に向かっていこうとしてもどうしてもうまくいかない時があったとします。そのとき勇気を持って一旦東に向かってみようとみんなで考えてみる。東に行くためには時には少し南に降らなくてはいけないこともあるかもしれません。

東にいるけど、このままだと北目指さないと死んじゃうな。ちょっとチームのみんなに耳の痛いことを言ってでも、北に行くぞ、といった考え方でしょうか。そのバランスを取る中で少しずつ北東に向かっていくのだと思います。

さて、「生産性と関係性の話が別の話だし両立する話だよね」というのがまず一段階目の「仕事ができるやつ < 仕事を一緒にしたいやつ」の理解してもらうために必要なことでした。次は北東に行くのはなぜ難しいのか、について考えてみます。

生産性がなぜ関係性を殺すのか

さて北に行くと西に行きやすいよ、つまり生産性を重視しすぎると関係性を犠牲にすることがあるよ、という話は頭の片隅に入れておくと良いように思います。

僕が思うに北に行く(=コトに注目しすぎる)と、「今」「その人の存在」を受け取ることが難しくなってきます。「KPIに貢献できない人はいらない」みたいな考え方が幅をきかせてしまい、多くの場合ではチームの多様性や心理的安全性を損ねてしまうコトになりやすいです。多くの場合下記のようなことがスピードを求めるあまり犠牲にされることな気がしています。
  • KPIが短期的でありすぎること。長期的には良いことやってる人や、KPIに繋がる別の人のアクションをアシストしてる人など、短期的に測定しづらいことが軽視されます
  • 人が感情で仕事をしているという事実を忘れたり封印してしまうこと、
  • その人の価値観、多様性に対する尊重の欠如。例えば「プロフェッショナル」という言葉をひとつとっても、それが「決められた時間できっちり一定の成果をあげること」だと思っている人もいれば「できる限り全てのエネルギーを通じて多くの成果を出すこと」だと思っている人もいればはたまた「多くの人と公平に接するコト」だと思っている人もいれば「みんなが気持ちよく仕事できるコト」だと思っている人、「ボールがこぼれないように拾い続けること」と思っている人まで様々ですよね。その人の価値観や過去の成功体験・失敗体験・家庭環境によってそれぞれの人の考え方は全く違います。なので例え同じ結論に至っても全く違う考え方をしていたり、同じ事実を見ても全く違う結論に至ったりすることはよくあります。その人それぞれの立ち位置を尊重(最低限「人と人は違う」と頭で認識する)ことは良い関係を作るためには必須です
  • 最低限の心理的安全性の確保。「何はともあれ、君はひとりの人間としてうちのチームにいてくれて嬉しい」というメッセージを発することができているかどうか。Googleも発表してましたが。 ミーティングとかブレストで特定の人しか喋ってないとか要注意です。知的生産性も下がっています
やや「良いチームの作り方」みたいな方に話がずれてきてしまっているのですが頑張って軌道修正をすると、「生産性と関係性の関係性を知って、バランスをとろうね」という話でしょうか。仕事を一緒にしたいやつ っていうのは少なくとも関係性を築ける人であり、その相克に取り組んでいる人だと思います。

次回予告

だいぶ長い前振りになってしまいましたが、前段として生産性と関係性について思っていることを書いてみました。じゃああらためて後者の関係性を作れる人、作りたくなる人=「一緒に仕事がしたいやつ」としたときに、どうやって関係性を作っていけば良いのか、ということをさらに一つ踏み込んで考えてみたいと思います。

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