2017年10月10日火曜日

ライフスキルのユニバーサルさについて

私たちの事業は「ものづくりを通じたひとづくり」だ。そしてその人づくりとは一人一人が前向きにワクワクしながらいきていくために必要な「ライフスキル」を身に付けるということを目的としている。
現在僕たちが定義するライフスキルは下記の要素になっている。

他の呼び方としてはソフトスキル、非認知スキル、ベーシックコンピテンシーなどと言われて、とくに職業倫理を中心としたあたりはemployabilityなどと呼ばれることもある。
さて、この図をみて、どんな人でも自信満々に「僕はどのスキルも全く問題なく身につけているよ」と言える人はいないのではないだろうか。僕たちはあくまでもカンボジアの農村にいる、小学校や中学校を中退せざるを得なかった家庭出身の若い女性たちに適用してはいる。しかし同時に働くスタッフや経営者である僕自身に対してもこの能力を育てていけるように事業を作っている。
つまり、このライフスキルはどんな人でも課題を持っているユニバーサルなものであるということだ。そしてそれがどのくらいユニバーサルかというと、次の3次元的にユニバーサルなのではないだろうか。
  • いつの時代も(時間軸):古今東西人類が課題としてもっている。 ex. マルクスアウレリウスの自省録をよんでもここに関わる話は多いし、多分人類が火星に行ってもこの話は続く
  • どの地域でも(地域軸):日本人もカンボジア人もその他の国の人たちもみんな必要としている。もちろん地域が持つ文化や、社会的な構造によってどこが強く求められるかは違いはあるだろうが、概ねこの組み合わせである
  • どんな立場でも(業種・職種軸):農業、工業、サービス業それぞれで組み合わせは異なるものの必要なスキルである。ワーカーレベルでも経営者レベルでも営業職でも事務職でも必要なスキルである
もちろんそれだけ広く曖昧に定義していると言えなくもない。しかし、一方でその必要性の割には、学校、家庭が「なんとなく」育成を担っていたため、再現性のある効果的な教育方法が確立されていないあるいは広く行き渡っていないと僕は考えている。
だから家庭環境が劣悪な場合だったり、標準的なサービスが受けづらいマイノリティの方だったり、人権を侵害されるような問題の被害者だったりする人たちはライフスキル教育を受けることなく、結果として社会との関わりを作るのが難しくなり、その劣悪な状況を脱することができなくなるのだ。

だからこそライフスキル教育は社会のインフラとしてどんな人にも等しく高品質に提供されるべきだと僕は考えている。それは万民の権利であり、社会制度を作る人にとっての義務なのだ。沢山の人に使ってもらえるようなライフスキル教育のパッケージ(メソッド、TOTの仕組み、トレーナーやトレーニーをサポートする仕組み、ITをつかってライフスキル活用をサポートする仕組み)を開発し発信していきたい。

僕たちが考えるライフスキルのもっと細かい定義や指標についてはまた別の機会に。

2017年10月9日月曜日

スタッフが簡単にやめるとムカつく話、あるいは投影とは

カンボジアやタイの日本人経営者やマネジャーから「現地のスタッフが簡単にちょっと給与の高いところに転職してしまってムカつく」という話を聴くことがある。

まぁまず実際給与の理由ではなくて職場の人間関係とかが原因にあることを良かれとおもって伝えてくれないというのが大きな原因だったりする。退職面談を本当に安全な形で実施することが大事で、こちらも傷つくんだけどそこで手痛いフィードバックをもらうことが大切だ。

ただ、それ以上に最近思うこととしては、なぜそんなに「ムカつく」のかということだ。たしかに色々と夢を語り合った仲間がやめる、とか、実際に仕事の引き継ぎとか考えてなくて実害があるということもあるだろう。ただそれだけでは説明がつきづらいくらいムカついている人に会うこともある。

ここで一つの仮説。それは「その人自身が、本当に我慢して会社に居続けているのでは?その痛みと向き合ってないのでは」というパターン。自分の中にある葛藤や痛み、被害者意識を消化できていない時、人がその行動を無邪気にとっているほど怒りが湧くことはありません。心理学的にも「投影」と言われる現象の一部だと思います。

あたかも「簡単に」やめてしまっているように見える現地の人を見かけて心がざわついたら自分自身に問いかけてみてください。

  • 本当は自分がやめたいとおもっていて、やめれないというその痛みをその人にぶつけているだけじゃないか
  • 簡単にやめているようにみえるのは思い込みで、もっと色々な思いをもっているのではないか。それに目を向けられないのは経営者としての、マネジャーとしての痛みに向き合えないからではないか

それだけで必ずよくなるかどうかなんてわかりませんが、自分自身の課題を相手に無意識に押し付けても、問題が再生産され続けるだけなのでそれほど非生産的なことはありませんから。

2017年10月8日日曜日

久しぶりにブログを再始動

久しぶりにブログを再始動することに。

全国に数少ないファンがいることがわかったのでその人たちのために書いていきます。概ねFacebookにいろいろ情報発信できるせいで、情報発信欲が失われてブログを放置しているわけですが、Facebookは残りづらく色々とじわじわツッコミも欲しいので。ブログ(ともう呼びすらしないでしょうか)のサービスも群雄割拠なのでそもそもサービス自体も変えるかもしれませんが。

まぁこういうのは気合入れてたくさん書くとかいうと、次の書き込みが2年後になったりするのでまったりとよいペースで下記の狙いを達成していきたいと思います。

  • 哲学←→研究←→経営←→現場をいったりきたりすること
  • インプット←→アウトプットをいったりきたりすること

書いてみたいなとおもっているのは下記のあたり

  • なぜものづくりなのか、手作りの意味とは
  • なぜひとづくりなのか、教育とは。ライフスキルのユニバーサルさについて
  • 組織の運営で学んだこと。自分らしくあること、構造を作ること、スペースを作ること、伝えること、トンネルをみんなで潜ること、流れを作ることなど
  • 仕事術系
  • ちょっとした気づき

ほかに聞いてみたいことがある人が万が一いましたら是非Facebookなどでコメントいただければ。

2016年8月31日水曜日

青木家第四章のチャレンジ - 七夕婚から週末婚へ


8月末に家族がバンコクに引っ越しました。それを記念して青木家第四章のチャレンジ(今命名)とこれまでの軌跡をお届けしようと思います。自分のために。

なお、誤解されがちですのであらためて言いますが、僕はシェムリアップをベースとして仕事することは変わりません。週末にバンコクに行くことが増えるかと思います。(というこのブログもバンコクの空港で書いています)

改めて転機ごとに皆さんをおさわがせしたりご心配していただいた事を思い出し、皆さんのおかげでこいういう好きなことができているんだな、と万感の思い。ありがとうございます。
  • 青木家のフェーズを色々分けると下記の感じかな
    • プロローグ:5年半のお付き合い
    • 第一章:結婚&健太単身赴任@カンボジア 2008 - 2010
    • 第二章:遙誕生 2010 - 2014 静が育てる@日本
    • 第三章:遙カンボジアへ 2014 - 2016 健太が育てる@カンボジア
    • 第四章:家族のベースはバンコクへ
      • 健太はカンボジアで仕事 → 週末はバンコクへ
      • 静はバンコクで仕事。遙はバンコクでインターナショナルスクール
  • 結婚の形式でいうなら 「七夕婚から週末婚へ」
    • 新婚以来、年に数回のタイミングでしか会っていない七夕婚から、
    • 毎週末?バンコクで会える週末婚へとの進化
  • 不思議なくらい何故バンコク? と聞かれるので下記に理由を
    • 家族で決めるときの条件・優先順位
      • 第一:家族ができるだけ近くに住んで頻繁に会いたい
      • 第二:遙の教育、医療などが安心できる都会が良い
      • 第三:静のキャリアを前向きに積み重ねていける職場がほしい
    • 皆さんが知らないバンコク
      • まず新宿・渋谷なみの都会。日本の中でも都会。シェムリアップとは圧倒的な差。
        • 渋谷>=バンコク>>>プノンペン > シェムリアップ という感じ?
      • シェムリアップ←→バンコクの距離は物理的にも移動時間的にも金額的にも近い。大阪←→東京より近い。
        • Google Mapで道路の距離が500km以下
        • 往復の飛行機が11,000 - 13,000円くらい。飛行機以外の交通費も$20くらい。
        • 飛行機の時間は1時間くらい。
        • 突然明日来て、とかなってもかなり対応しやすい
      • 日本人がものすごい多い。固定的に住んでいる人で10万人程度
        • 例えば英語を一切喋らなくても診療・人間ドックができちゃう病院とか
      • (お金を払えば)教育の水準も高い
        • インターナショナルスクールはかなりしのぎを削っている印象。選択肢が多すぎて選びづらいくらい
  • プロセス
    • 健太がカンボジア事業を独立して続ける意志決定をする (今度詳しく書きますが、かものはしプロジェクトの総会やWebサイトでお知らせしたように、カンボジアでの事業を続けて行くためにかものはしプロジェクトから独立します。 くわしくはこちらのブログを参照の事。
    • → じゃあ帰ってこないじゃん、 問題解決をするためには静が仕事を辞めてでも移動するしかない(言葉では言い表せない感謝!)
    • → シェムリアップでは第二・第三の条件を満たすのが難しい
    • → バンコクを軸に(一応プノンペンとかも含めて)職探し
    • → 職探しするにも現地採用なので現地でじっくりと企業を探すのが良い
    • → 面接はいくつか進めながらもまずは引越!
    • → 内定もいただきつつ、引っ越し先も決めた! ← イマココ
  • これまでのところの学び
    • プロセスを経たところからの学び
      • 大事なことはきちんと家族会議をして話すべし
      • きちんと合計7,8時間話せば、感情的なつながり・落ち着き・共通する価値観の明確化ができる
      • 論点を整理して話し合うのはお互い得意
    • その他大事な学び
      • 新卒で入って終身雇用が前提の会社だったとしても、意外と会社は辞められるし、意外と就職はできそう
      • とはいえ会社を選ぶのは難しい。「意外と就職はできるし、お金の計算からしてこれくらいは仕事が見つからなくても大丈夫」という気持ちをしっかりもって焦らず見つけるべし
      • 決めた後の動きは静の方が圧倒的に速い。迷いがない。
  • 今後の懸念
    • 新生活が落ち着くか
      • 静は4ヶ月 育休の時にカンボジアに在住、遙は2年間在住経験があるとはいえ、土地勘もない異国の地。生活が落ち着いて楽しく暮らせるかどうかが大切。遙の学校・体調・医療も含めて。
    • 仕事が落ち着くか
      • 有り難いことに転職活動はすすんでいて、仕事が全く半年見つからなくて撤退という可能性はなさそう。とはいえ、新生活のストレスがある中で、新しい仕事のストレスがかかってくるわけでペース調整が大事
    • 週末そんなに頻繁に通えるか
      • まず純粋に、体力・心の力的に月に2-3回コンスタントに通えるかどうか
      • カンボジア事務所の独立も正念場を迎えており、それがおろそかにすることはできないし、そう思われるだけでもマイナス。タイに行ったことがメンタル的にも、仕事のスタイル・経験・事業展開などの面でもプラスになるような仕事の仕方をしていく。
    • 長期的にいつまでいるのか
      • 短期的なことをきちんと乗り越えたとして長期的なビジョンはどうか
      • 変数としては、健太の仕事の具合・バンコクの治安/安定・遙の教育・その他実家の都合(介護など)がどういうスパンでどう起きてくるか
  • 結局のところ青木家で大事にしていること
    • 節目節目で自分達の頭で考えて決めていくこと。
      • 第三章も母親が面倒をみるべきじゃないか?とか、第四章でも経営者がそんなに行ったり来たりしていていいのか、とか、日本に帰ってくればいいじゃないか、とか、色んなアドバイスをもらった。それはそれぞれもっともなアドバイスで考えるべき視点はくれるけれど、最後は自分達の頭で考えて決めることを大事にする。
      • 結果としてSolution Spaceが広くなる
    • 家族がいるからこその自己実現、幸せの作り方があるはず。
      • お互いがお互いの未熟さを受け止めて、成熟していくために寄り添うということ。
      • お互い様、バトンタッチ、リレーみたいのがあってよい
      • お互いが幸せに生き、相手に前向きに関わることでお互いによい影響を与えられる と信じる

2016年4月25日月曜日

thought

資本主義はパワフルすぎた、民主主義は弱すぎた、国民国家は根深すぎた。
とか思う自分はナイーブすぎた。

最近の自分のテーマは
  • なぜ動物には権利があるということになっていくのか
  • 正しさや論理ではなく、感情や欲望に根ざしていることを他人に強制することができるのか
  • 市民社会の成熟は個々の成熟・関係性の成熟と相互依存関係にあるけど、どうやって手を付けていくのか
  • 自分は思想によって社会に貢献するのか、事業なのか、姿勢なのか そもそもそれは事前にわかるのか

厳しい資本主義というべき論からの解放を、人に優しい事業の成功から提唱したい。

2015年9月8日火曜日

言葉を固めると事業が固まる


自分なりのビジョンが出てきた今となって、自分が事業の舵取りをしていく上でどう人にそれを伝えるか、そして関わってもらうか。それに少し苦しんでいる。

人に物事を伝えるには、その人に刺さる言葉で簡潔に新しい情報を提供しなければいけない。
そもそもわからない言葉があれば思考は止まってしまう。

初めて会った人に活動の概要と意義をぱっと伝えるには、それだけ言葉を選ばなくてはいけないし、枝葉末節をそぎ落とさなくてはいけない。

その場を乗り切るプレゼンテーション、反射神経と愛嬌を十八番に進んできた僕にはなかなか高いハードルである。

人と話して伝わらないときも、最初は「何で伝わらないんだ」とか、「文章や書類より現場を見てほしい」という思いが強かった。でも、今になってその課題に取り組むありがたさをかみしめている。

言葉を固めると言うことは、考えをまとめるということ。
枝葉末節をおとすということは、シンプルな誰もがわかる力強い戦略を作ると言うこと。

それに取り組むことで、力強い事業の芯を見いだすことができるのだろう。

経営者は「言葉のプロフェッショナル」であるべきだ。なにせ自分で動かせる手はしれているのだ。

2015年6月1日月曜日

自分には向いてないなんて言わないでほしい

「自分はXXは向いてないと思います」って言い切っちゃう人に何人かお会いする機会があったのだけど、そういう勘違いはもったいないなぁと思う。だって自分が何に向いてるかどうかなんて、相当やってみないとわからないと思うから。

敵を知り己を知るための戦い

20代で判断するなんて、まだ挑戦したいことがどんなことかも、自分が何者かもわからずほとんど一戦もしてない状態だったりするのに。そんなタイミングで戦いをさける上策なんて期待しない方が良いと思う。

僕自身の話をすると、自分が経営者に向いてるとはとても思えない。でもやりたいことがどうしてもあるから、やらせてもらっている。ない自信を無理矢理引っ張り出して、言い聞かせて何とかやっている。こんなところで躓くのかよ、って自分の事が嫌になったり、何食べてるのかわからなくなったりとか、悪戦苦闘している。
それでも支えてもらってる人たちに教えてもらった
  • 出来ない理由より、やりたい気持ちの方が大切
  • やってみないと結局自分も対象もわかんないよね
  • その苦闘を、プロセスを愛するということが起業するということだし、多かれ少なかれ誰もが経験すること
という確信があるから続けることが出来ている。

「やりたいこと」と「出来ること」と「社会に役立つこと」が重なるところを追求したいけど
  • やりたいことが何かわかったのは本当に最近だし
  • 出来ることよりも出来ないことばかり目に付くし
  • 社会がどう自分を必要としてくれるかなんてわからない
だから、3つが重なってるところなんて自分には見えなかった。

最初っからその3つが重なってるところがあるんじゃなくて、その輪っかを見つけたり、フチにぶつかって無理矢理広げたり、妥協したりして居場所を作っていくんだと思う。

そもそもの勘違いの発端

そう勘違いしちゃうのは、社会の仕組み以上に、自分たち自身の認識によるものが大きいのではないか。

まず冒頭の発言をする人に全般的に感じるのは、単に自信がないというケース。

  • 成功しても失敗しても、自分には価値があると信じ切れない
  • もしくはちょっと屈折して、頑張って頑張って成果が出なかったらいよいよ自分のことを認められなくなるから、挑戦しない言い訳をしているあたりがちょうどよい(自分に刺さる。。)
その背景はキャラクタだったり、幼少期の体験だったり、成功体験にたまたまご縁がない青春時代だったりと、環境のせいだったりする。

あと例えば就職活動をしている人で冒頭発言をする人とかからよく感じるのは、
  • 「営業といえば話がうまい人」みたいに職種とコンピテンシーのとらえ方がステレオタイプでときに間違っていたりする
  • 自分の長所・短所・性格・成熟度は定数だと思っている 

ともに環境や時間の関数だと思う。
その背景は「自分を探して」、「適した仕事を探す」という認識の枠組みや、ときに「志」「天職」という言葉が強力すぎたりするんでしょう。変数多いと考えるの大変だから嫌になってしまうかもしれないし。

自分の意見なのか、大多数の「常識」なのかの区別って難しいですが、やりたいことがあるんだったら批判的・建設的に考えるとよいと思う。

ともかく信じてみてほしい

自転車って最初に練習するとき何度も転ぶと思うんだけど、結局乗れるようになる。なんで人が自転車に乗れるようになるかって、沢山転ぶから。なのに大人になると何度も転ぶのが急に難しくなる。「他の大人は転ばない」って思ってるからかな。みんな転びまくってるぜ。

なんで自転車の時は転びながらも挑戦し続けられるのかって「最終的に自転車にのれるのは当たり前である」って思ってるからだと思う。イメージって大切。

だから同じように、ともかく信じてほしいのは、
  • 「向いてるか向いてないか」なんてほとんど誰にもわからない。少なくともかなり挑戦するまでは
  • 実際問題そんなことより、やりたいエネルギーがあるかどうか、つまり好きかどうかの方が全然大切
  • そしてやり続ければ、色んな抜け穴が見つかる、、、はず。そんなやり方もありなのね、っていう。

ということ。

つまり心の声に従って、やりたいことをやったらいいんです。ただそれだけ。

あえてもう一つ加えるなら「自分の個性や生い立ち」「弱み」「モチベーションの維持」とかってほとんどの人にとって、一生形を変えながらつきまとうものだから(という予感)、すぐ解決出来なくてよいんじゃないかな。


ということで、「本当にやってもいいのかな」と迷っている僕とあなたに向けて綴ってみました。

Zenback