今のところまずは整理することから。
なぜ日本人は「日本をどうにかしなきゃ、と思うのか?」こと。
もちろん思わない人も多いと思いますが(そりゃね。)
カンボジアで貧困層の女性のエンパワーメントをしてるんです、とか言うと、「カンボジアもいいけど、まずは日本でしょ」って言われることがあります。
何でだろう。考えてみることにします。
僕にとって確かなこと
- 僕は日本で生まれ育って、日本人であるから色々な教育の機会や、国力や、貨幣の価値や、文化など様々なものを享受してきた。
- 親戚や友達のほとんどは日本人で、そのほとんど全てが日本に住んでいること。そしてその子ども達も引き続き日本に住むこと
- 日本の文化や価値観など(僕が分かってる限定された分野で、かもですが)は結構好きなこと。特にカンボジアに来てからより好きになった。
- 目の前にチャンスがあったり、たまたま生まれた場所が良かっただけで良い物を享受できた人は、そうでなかった人に対して、お返しをしたいな、と思うこと。
- 親に感謝しているが、親に自分のしてもらったことをお返しできると思わないし、親もそれを望んでいるとは思わないこと。
- そして例え、親が望んだからといって、自分がどう思うかは別だということ
- 自分にとって狭義の家族(今は嫁と2人)は感謝して、いつも受け取ってる物にのしをつけてお返しして、幸せにしたいと思える対象であること。
- ただ、日本の税金をただ乗りして単にカンボジアに与えるだけだと、(本当に極端な例が子ども手当を悪用して、孤児院を助けるとかね)、日本国民の総意を得た話でもないし、趣旨に沿ってないし、フェアでもない気がする。日本に事業拠点を置いて、寄付や助成金も頂いている以上
- 将来的に日本とカンボジアの関係が良くなるような、本当にその人達の役に立つ活動ができること
- 日本でやってる部分はきちんと黒字にして安定雇用して、税金収めます。
- とかは思う。
僕にとって確かじゃないこと
- お世話になった人にお返ししなければいけないかどうか。(一般的な人間関係ではもちろんYES)
- 例えば、日本にお世話になったんだから日本にお返ししろ、ということ?日本がよくわからないんだったら親にお世話になったんだから、親にお返ししろと言うこと?
- 日本人とカンボジア人の違い。世田谷とシェムリアップの違い。違うって言うのは、どうして日本人だと感謝とかお返しの対象になって、シェムリアップだとならないのか、っていうこと。日本国籍??
- 日本は(まだ)それなりに食べていけるんだから、食べていけないとか、職業選択の自由があまりにも無い人に対して何か機会を作ろうというのは、普通じゃないのか?自分が五体満足で両親も仲良くて、経済的に困窮することも無い家庭に生まれた有り難さを、誰に還元するのか っていうのは 自分の自由であり、出会いに基づく物であり、自分の目に入ったもっとも(機会が無いとか選択が少ないという意味で)貧困な人、ないしは笑顔で暮らしていない人に還元しようと思うのは普通じゃないのか?
- 年齢を重ねたら、「やっぱり日本の人を何とかしたい」って思うことが来る人が多い気がするけど、自分はどうなんだろう
考えてみて分かった自分の価値観と気づき
- 日本人とカンボジア人を区別しなさ過ぎ。世田谷とドンダイが脳内距離30Kmくらいなんだよな。
- ペイフォーワードみたいに、「先輩におごられた分は、後輩におごれ」みたいな価値観があること (日本→俺→カンボジア)(両親→俺→農村の女性)
- もらったものはもらったもの、サンクコスト!みたいなノリがある。ずうずうしい。
- そもそもよく考えたら、「還元したい!」みたいな思いで働いているわけではなく、「自分の視界の中、想像の中で一番必要とされているところにいたい」とおもっているだけなこと。 ← これが答えかも。どこでもいいんだ。別に。
- 必要とされている = 役に立ちたい というのが時に錯覚であるかもしれないが、自分がきちんと勉強して、実力をつけて、真摯に誠実に役に立とうとしていれば、自分を誇りに思えること。
ちょっと話はずれました。。。
社会問題に出会ってその解決に力を使うっていう意味では、別に日本でもカンボジアでも一緒なんだけどな。むしろ今後アジアってもっと統合していくんじゃないかな。
自分がアウトローに扱われていることに不満は全く無くて(だってアウトローでしょ)、純粋に何故日本の事を考えるべきか、日本で仕事をするべきかって言われるのか、自分がどう考えるのかをつらつら書いてみた次第です。