2017年10月12日木曜日

変わり続ける社会と変わり続ける役割の話

NGOをやっているととくに強く意識するのは競争より役割分担

一つの社会問題にタックルしようとしても、原因は多様に絡み合っていて、地域もたくさん広がっていたりすることもあって、到底一団体で解決できないということがほとんどだろう。
同じ志で別の地域で頑張るNGO同士もいる。同じ地域で対症療法を行なって今の痛みを食い止める人と、根本治療に取り組んで今後の問題の予防に努める人もいる。もちろんどちらが偉いとかそういう話ではなく、役割分担の話だ。
同じように、NGOと企業と政府も役割を分担することが多い。とくにNGOは非営利のお金を受け取る中で「市場も政府も失敗するエリア」に対して「問題を発見して伝えたり」「解決策を実験して見つけ、展開したり」という役割を担っていくべきだと僕は個人的に思っている。
ここで気をつけなくてはいけないのは、活動を続けていく中で、社会は変わりそれぞれのプレーヤーが取れる役割も変わってくるということだ。

5000人雇えなかった僕たち

僕らが2002年に活動を始めた時、僕たちNGOが1人でも多くのカンボジア人を雇用することは本当に社会的に価値があったようにおもう。2008年に始めたコミュニティファクトリーでもその思いを持って一人でも多くの女性を雇用できるように頑張ってきた。
個人的にその潮目が変わったようにおもうのは2011年あたりを超えてからである。民間企業のカンボジアへの進出・投資が本格化したのだ。とくに印象的だったのは、日系企業の現地支社長の方にこう言われた時のことだ。
「青木くん、うちの工場は年末までに5000人雇おうと思っている。月に100人でも元気で目が良い女性がいたら誰でも良いから紹介してほしい」
そしてその工場の給与はうちのファクトリーより良かった。
このとき僕は「あ、勝てないな」と素直に思った。僕らが血の滲むような思いで1人ずつ採用していってもとてもじゃないがこの規模は出せない。日本での商品販売では大先輩のマザーハウスですらおそらく数十億の売上をあげていても雇えている職人は200人程度ではないだろうか。これは良いとか悪いとかの話ではない。自分たちのとりたい役割とその期待とのギャップの問題である。
(僕が知っているマザーハウスのTOCは「途上国から世界に通用するブランドを作ること」が今後の先進国と途上国の関係や認識を変えたり、途上国のほかの人たちに希望を提供できるということである。そしてそれは本当に機能しているとおもう。マザーハウスが切り開いてきた道を前に見つめてどれほどの勇気をもらっていることか)
ある社会のフェーズからは、単純に雇用の人数で企業に勝つことは非常に難しい。貧困率をかけあわせたところでSocial Impactで勝つことも難しい。カンボジアの人にとっては本当に良いことだとおもう。どんどん良い職場と雇用が増えていくことほど国を発展させることは無いと思う。
さて、すでにこの時点で「企業に雇用で勝つ」とか勝ち負けの話になっている、そのマインドがだめなのだ。NGOの問いは、「じゃあ残っている社会問題は何で、どう役割を分担していくのか」というものであるべきだとおもう。

僕らが至った結論は、最貧困層の方々向けの学校へと進化すること

単なるスモールビジネスをしたかったわけではなく、社会問題の解決を目指そうとおもっていた僕らがとった動きは、よりターゲットを絞っていくことと、学校モデルに変化することであった。詳しくはここでは説明しないが、雇った人に「いつまでもうちの工房で働いてほしい」といっていた事業を、下記のように2年で卒業してもらうモデルへと大きく変化させたのだ。

これはものづくりの常識からいったらありえないし、職場のスタッフももちろん混乱しこの2年間大変なTransitionだったとおもう。よくみんな乗り越えてくれた。
でも仕方がなかった。単なる雇用の数をカンボジアに提供するのに適しているのはもはや僕たちではなかったのだから。僕らがどの問題に着目してこういうモデルに切り替えたのかという話は割愛するが、今でも正しい決断だったと思っている。より多くの企業が雇用を提供していく中でも、その雇用をしっかりとつかむことができないひとたちが確実にいて、そういう方々の問題を解決できる教育サービスを中心に持ったものづくり事業へと変化できたからだ。

その変化の中で得たもの

痛みをともなった変革だったが、その中で得たものは大きい。
  • 前以上に自信をもって事業を展開できるということ。同じ売り上げでも、より多くの人にたいしてサービスを提供できる
  • 卒業を前提にしたときに、「外で活躍できるだけの人材になってもらいたい」と、求められる教育の質があがり、スタッフの目線も実力もあがったこと
  • 卒業を前提にした時に(同時にブランドが立ち上がったことも大きいが)、品質を個人技ではなくプロセスで担保できるように仕組みが進化し続けていること
  • そこで得た教育のメソッドを企業や政府に外販できるようになってきたこと。カンボジア全土に質の高いライフスキル教育を届けることができる日が近づいた
とくに最後の点、これは事業全体のSocial Impactを本当に大きくできる可能性を含んでいる。
自分たちの価値を問い直し、役割を見つめ直し、事業を作り直すこと、それがNGOとして社会問題に真摯であるということだとおもう。はっきりいってまだまだ甘いところが大きいが、今後も恐れずに変わり続けたい。

2017年10月11日水曜日

「せっかく入った東大を中退するとか意味がわかりません」への答えとは

ご縁があって、奈良県の超進学校の高校一年生に向けて講演会をさせていただく機会があった。毎年カンボジアのコミュニティファクトリーにもいらしていただいている非常に意識の高い(そして偏差値も高い)学校での一コマである。
講演の中で僕は自分の人生を紹介するためにも、東京大学を中退したことを伝えた。そして東大は彼らにとって非常に現実的に検討する選択肢でもあった。
そして質疑応答の時間の中でタイトルの質問を高校一年生からいただいた。そのときうまく答えられなかった気がするので改めてもう一度考えてみた。

まず「意思を持って積極的に中退した」という誤解を解きたい

僕が中退したのは進学振り分けという3年生になるにあたって学部を選択するために必要な最低限の単位が3年連続不足していたためである。2年生までを4年以上できないというルールのため、3回目に落ちた時には退学を選ばざるを得なかった。
別に単位がもらえて卒業できるなら卒業したかった(ような気がする)。
そういう意味で「かものはしプロジェクトという事業により集中するために積極的に意思を持って中退した」と言われるとちょっと微妙な心持ちになる。
もちろん、なぜ単位が足りなかったかというと、大学にまじめに通っていなかったからだ。そして、なぜ通っていなかったかというと、自分が担当していたIT事業が忙しかっただけでなく、楽しくて夢中になっていたからだ。
ということを総合的に振り返ると下記のような塩梅
  • 本当に卒業しようと思えば事業をやりながら単位をなんとなく取る方法はあったかもしれない
  • 自分自身がめんどくさかったのでやらないところは間違いなくあった
ということで、「大学を卒業したいと強くおもっていなかったから」に尽きる。親には随分と心配をさせ、失望もさせてしまったが、正直なところこんな感じである。

じゃあなぜ「卒業したい」と強く思わなかったのか

とすると、次の疑問は卒業したいと思わなかった理由である。これは今考えてもいくつかの理由があるように思う
  • そもそも「卒業して何をしたい」というビジョンがなかった。だから卒業しなければできないこと、について考えたことがなかった
  • そもそも将来についてビジョンをもってキャリアを積み重ねていくということができるタイプではなく、今楽しいと思うことを続けていくタイプである
  • そもそも東京大学に入ろうとおもったきっかけも「通っていた塾で、当然の選択肢として考えるような環境であったこと」「親族に東大が多く、受けることそのものには疑問を持ちづらかったこと」というあたりにある
  • その中で積極的に受験した理由として(他の大学を一つも受けなかったわけだし)「なんか面白い人がいるに違いない」「途中で文系も含めて学部をえらべるということは今決めなくてよい。今後興味が生まれたものに忠実に決めればよい(ある意味で先送り)」というあたりがあった
そして、かものはしプロジェクトを起業してすでに3年程度たったとき、心から「面白いことをやっているし、面白い人たちとやっている」「今プロジェクトが潰れても個人としては食べていけるだろう(という自信と楽観)」とおもっていたことが大きかったように思う。

親族の話

そういう意思決定(というより半ばなし崩し的ではあったものの)を経ても大事にしてくれた家族には本当に感謝している。とくに親族に東大出身者が多く(まぁこういう話を共有するのも勇気がいりますが)、そういう家庭環境の中で、「入ったはいいが、卒業せず中退をする」ということを(もちろん強く反対していたし、嫌だったろうとは思うが)最終的に認めてくれたのは自分にとっても大きなサポートであった。
時代の違いもあったし、なによりもその理由がかものはしプロジェクトという応援してもらっていた取り組みであったことも大きかっただろう。いずれにせよ本当に感謝である。

今になって思う話

そんな中、今になって思うことは、辞めてよかったな、ということである。それは下記のような理由に基づく
  • 実際特定の職種なんかを除けば、仕事をしていく上で卒業したかどうかはあまり問われない(と感じるような業界にいるのかもしれない)
  • 話のネタになる。スティーブ・ジョブズ、ビルゲイツ、ザッカーバーグといった偉大なる方々のお陰でなんかカッコ良い感じすらする
  • 退路をたてたし、自分の決め方に自信がもてた。それは「みんながよいとかやるべきだと思うことじゃなくて、自分自身が夢中になれることをやる。」ということ
  • いま考えても一番のリスクは大学を辞める云々ではなく、振り返ってみて「本気じゃなかったな」と思ってしまうような態度で仕事や研究だったり、家族と向き合うことだったりを進めてしまうことだと思う。それは自分の尊厳を少しずつ自分でうばっていく行為だからだ。僕はこれを「挑戦しないリスク」と呼んでいる
  • OBのフリをして同窓会やイベントには出られたりする。懐の深い人たちに支えられております
綺麗事かもしれないが、改めてこれまでの経緯をご縁として感謝している。うまくまとまってはいないが、これが僕が東京大学を中退した という事実を自分の中で消化した結果である。誰かの参考になれば本当に嬉しい。

免責事項

当然のことながら、これは積極的に中退を進めるような話ではない。全く他のことに影響が出ないという条件下では当然卒業した方がよい。試される時はどうかat your own riskでお願いします。そして、それを自分で自分に問うプロセス、きめるプロセス、それを自分の人生と呼ぶのだと思う。大げさにいうと。

2017年10月10日火曜日

ライフスキルのユニバーサルさについて

私たちの事業は「ものづくりを通じたひとづくり」だ。そしてその人づくりとは一人一人が前向きにワクワクしながらいきていくために必要な「ライフスキル」を身に付けるということを目的としている。
現在僕たちが定義するライフスキルは下記の要素になっている。

他の呼び方としてはソフトスキル、非認知スキル、ベーシックコンピテンシーなどと言われて、とくに職業倫理を中心としたあたりはemployabilityなどと呼ばれることもある。
さて、この図をみて、どんな人でも自信満々に「僕はどのスキルも全く問題なく身につけているよ」と言える人はいないのではないだろうか。僕たちはあくまでもカンボジアの農村にいる、小学校や中学校を中退せざるを得なかった家庭出身の若い女性たちに適用してはいる。しかし同時に働くスタッフや経営者である僕自身に対してもこの能力を育てていけるように事業を作っている。
つまり、このライフスキルはどんな人でも課題を持っているユニバーサルなものであるということだ。そしてそれがどのくらいユニバーサルかというと、次の3次元的にユニバーサルなのではないだろうか。
  • いつの時代も(時間軸):古今東西人類が課題としてもっている。 ex. マルクスアウレリウスの自省録をよんでもここに関わる話は多いし、多分人類が火星に行ってもこの話は続く
  • どの地域でも(地域軸):日本人もカンボジア人もその他の国の人たちもみんな必要としている。もちろん地域が持つ文化や、社会的な構造によってどこが強く求められるかは違いはあるだろうが、概ねこの組み合わせである
  • どんな立場でも(業種・職種軸):農業、工業、サービス業それぞれで組み合わせは異なるものの必要なスキルである。ワーカーレベルでも経営者レベルでも営業職でも事務職でも必要なスキルである
もちろんそれだけ広く曖昧に定義していると言えなくもない。しかし、一方でその必要性の割には、学校、家庭が「なんとなく」育成を担っていたため、再現性のある効果的な教育方法が確立されていないあるいは広く行き渡っていないと僕は考えている。
だから家庭環境が劣悪な場合だったり、標準的なサービスが受けづらいマイノリティの方だったり、人権を侵害されるような問題の被害者だったりする人たちはライフスキル教育を受けることなく、結果として社会との関わりを作るのが難しくなり、その劣悪な状況を脱することができなくなるのだ。

だからこそライフスキル教育は社会のインフラとしてどんな人にも等しく高品質に提供されるべきだと僕は考えている。それは万民の権利であり、社会制度を作る人にとっての義務なのだ。沢山の人に使ってもらえるようなライフスキル教育のパッケージ(メソッド、TOTの仕組み、トレーナーやトレーニーをサポートする仕組み、ITをつかってライフスキル活用をサポートする仕組み)を開発し発信していきたい。

僕たちが考えるライフスキルのもっと細かい定義や指標についてはまた別の機会に。

2017年10月9日月曜日

スタッフが簡単にやめるとムカつく話、あるいは投影とは

カンボジアやタイの日本人経営者やマネジャーから「現地のスタッフが簡単にちょっと給与の高いところに転職してしまってムカつく」という話を聴くことがある。

まぁまず実際給与の理由ではなくて職場の人間関係とかが原因にあることを良かれとおもって伝えてくれないというのが大きな原因だったりする。退職面談を本当に安全な形で実施することが大事で、こちらも傷つくんだけどそこで手痛いフィードバックをもらうことが大切だ。

ただ、それ以上に最近思うこととしては、なぜそんなに「ムカつく」のかということだ。たしかに色々と夢を語り合った仲間がやめる、とか、実際に仕事の引き継ぎとか考えてなくて実害があるということもあるだろう。ただそれだけでは説明がつきづらいくらいムカついている人に会うこともある。

ここで一つの仮説。それは「その人自身が、本当に我慢して会社に居続けているのでは?その痛みと向き合ってないのでは」というパターン。自分の中にある葛藤や痛み、被害者意識を消化できていない時、人がその行動を無邪気にとっているほど怒りが湧くことはありません。心理学的にも「投影」と言われる現象の一部だと思います。

あたかも「簡単に」やめてしまっているように見える現地の人を見かけて心がざわついたら自分自身に問いかけてみてください。

  • 本当は自分がやめたいとおもっていて、やめれないというその痛みをその人にぶつけているだけじゃないか
  • 簡単にやめているようにみえるのは思い込みで、もっと色々な思いをもっているのではないか。それに目を向けられないのは経営者としての、マネジャーとしての痛みに向き合えないからではないか

それだけで必ずよくなるかどうかなんてわかりませんが、自分自身の課題を相手に無意識に押し付けても、問題が再生産され続けるだけなのでそれほど非生産的なことはありませんから。

2017年10月8日日曜日

久しぶりにブログを再始動

久しぶりにブログを再始動することに。

全国に数少ないファンがいることがわかったのでその人たちのために書いていきます。概ねFacebookにいろいろ情報発信できるせいで、情報発信欲が失われてブログを放置しているわけですが、Facebookは残りづらく色々とじわじわツッコミも欲しいので。ブログ(ともう呼びすらしないでしょうか)のサービスも群雄割拠なのでそもそもサービス自体も変えるかもしれませんが。

まぁこういうのは気合入れてたくさん書くとかいうと、次の書き込みが2年後になったりするのでまったりとよいペースで下記の狙いを達成していきたいと思います。

  • 哲学←→研究←→経営←→現場をいったりきたりすること
  • インプット←→アウトプットをいったりきたりすること

書いてみたいなとおもっているのは下記のあたり

  • なぜものづくりなのか、手作りの意味とは
  • なぜひとづくりなのか、教育とは。ライフスキルのユニバーサルさについて
  • 組織の運営で学んだこと。自分らしくあること、構造を作ること、スペースを作ること、伝えること、トンネルをみんなで潜ること、流れを作ることなど
  • 仕事術系
  • ちょっとした気づき

ほかに聞いてみたいことがある人が万が一いましたら是非Facebookなどでコメントいただければ。

2016年8月31日水曜日

青木家第四章のチャレンジ - 七夕婚から週末婚へ


8月末に家族がバンコクに引っ越しました。それを記念して青木家第四章のチャレンジ(今命名)とこれまでの軌跡をお届けしようと思います。自分のために。

なお、誤解されがちですのであらためて言いますが、僕はシェムリアップをベースとして仕事することは変わりません。週末にバンコクに行くことが増えるかと思います。(というこのブログもバンコクの空港で書いています)

改めて転機ごとに皆さんをおさわがせしたりご心配していただいた事を思い出し、皆さんのおかげでこいういう好きなことができているんだな、と万感の思い。ありがとうございます。
  • 青木家のフェーズを色々分けると下記の感じかな
    • プロローグ:5年半のお付き合い
    • 第一章:結婚&健太単身赴任@カンボジア 2008 - 2010
    • 第二章:遙誕生 2010 - 2014 静が育てる@日本
    • 第三章:遙カンボジアへ 2014 - 2016 健太が育てる@カンボジア
    • 第四章:家族のベースはバンコクへ
      • 健太はカンボジアで仕事 → 週末はバンコクへ
      • 静はバンコクで仕事。遙はバンコクでインターナショナルスクール
  • 結婚の形式でいうなら 「七夕婚から週末婚へ」
    • 新婚以来、年に数回のタイミングでしか会っていない七夕婚から、
    • 毎週末?バンコクで会える週末婚へとの進化
  • 不思議なくらい何故バンコク? と聞かれるので下記に理由を
    • 家族で決めるときの条件・優先順位
      • 第一:家族ができるだけ近くに住んで頻繁に会いたい
      • 第二:遙の教育、医療などが安心できる都会が良い
      • 第三:静のキャリアを前向きに積み重ねていける職場がほしい
    • 皆さんが知らないバンコク
      • まず新宿・渋谷なみの都会。日本の中でも都会。シェムリアップとは圧倒的な差。
        • 渋谷>=バンコク>>>プノンペン > シェムリアップ という感じ?
      • シェムリアップ←→バンコクの距離は物理的にも移動時間的にも金額的にも近い。大阪←→東京より近い。
        • Google Mapで道路の距離が500km以下
        • 往復の飛行機が11,000 - 13,000円くらい。飛行機以外の交通費も$20くらい。
        • 飛行機の時間は1時間くらい。
        • 突然明日来て、とかなってもかなり対応しやすい
      • 日本人がものすごい多い。固定的に住んでいる人で10万人程度
        • 例えば英語を一切喋らなくても診療・人間ドックができちゃう病院とか
      • (お金を払えば)教育の水準も高い
        • インターナショナルスクールはかなりしのぎを削っている印象。選択肢が多すぎて選びづらいくらい
  • プロセス
    • 健太がカンボジア事業を独立して続ける意志決定をする (今度詳しく書きますが、かものはしプロジェクトの総会やWebサイトでお知らせしたように、カンボジアでの事業を続けて行くためにかものはしプロジェクトから独立します。 くわしくはこちらのブログを参照の事。
    • → じゃあ帰ってこないじゃん、 問題解決をするためには静が仕事を辞めてでも移動するしかない(言葉では言い表せない感謝!)
    • → シェムリアップでは第二・第三の条件を満たすのが難しい
    • → バンコクを軸に(一応プノンペンとかも含めて)職探し
    • → 職探しするにも現地採用なので現地でじっくりと企業を探すのが良い
    • → 面接はいくつか進めながらもまずは引越!
    • → 内定もいただきつつ、引っ越し先も決めた! ← イマココ
  • これまでのところの学び
    • プロセスを経たところからの学び
      • 大事なことはきちんと家族会議をして話すべし
      • きちんと合計7,8時間話せば、感情的なつながり・落ち着き・共通する価値観の明確化ができる
      • 論点を整理して話し合うのはお互い得意
    • その他大事な学び
      • 新卒で入って終身雇用が前提の会社だったとしても、意外と会社は辞められるし、意外と就職はできそう
      • とはいえ会社を選ぶのは難しい。「意外と就職はできるし、お金の計算からしてこれくらいは仕事が見つからなくても大丈夫」という気持ちをしっかりもって焦らず見つけるべし
      • 決めた後の動きは静の方が圧倒的に速い。迷いがない。
  • 今後の懸念
    • 新生活が落ち着くか
      • 静は4ヶ月 育休の時にカンボジアに在住、遙は2年間在住経験があるとはいえ、土地勘もない異国の地。生活が落ち着いて楽しく暮らせるかどうかが大切。遙の学校・体調・医療も含めて。
    • 仕事が落ち着くか
      • 有り難いことに転職活動はすすんでいて、仕事が全く半年見つからなくて撤退という可能性はなさそう。とはいえ、新生活のストレスがある中で、新しい仕事のストレスがかかってくるわけでペース調整が大事
    • 週末そんなに頻繁に通えるか
      • まず純粋に、体力・心の力的に月に2-3回コンスタントに通えるかどうか
      • カンボジア事務所の独立も正念場を迎えており、それがおろそかにすることはできないし、そう思われるだけでもマイナス。タイに行ったことがメンタル的にも、仕事のスタイル・経験・事業展開などの面でもプラスになるような仕事の仕方をしていく。
    • 長期的にいつまでいるのか
      • 短期的なことをきちんと乗り越えたとして長期的なビジョンはどうか
      • 変数としては、健太の仕事の具合・バンコクの治安/安定・遙の教育・その他実家の都合(介護など)がどういうスパンでどう起きてくるか
  • 結局のところ青木家で大事にしていること
    • 節目節目で自分達の頭で考えて決めていくこと。
      • 第三章も母親が面倒をみるべきじゃないか?とか、第四章でも経営者がそんなに行ったり来たりしていていいのか、とか、日本に帰ってくればいいじゃないか、とか、色んなアドバイスをもらった。それはそれぞれもっともなアドバイスで考えるべき視点はくれるけれど、最後は自分達の頭で考えて決めることを大事にする。
      • 結果としてSolution Spaceが広くなる
    • 家族がいるからこその自己実現、幸せの作り方があるはず。
      • お互いがお互いの未熟さを受け止めて、成熟していくために寄り添うということ。
      • お互い様、バトンタッチ、リレーみたいのがあってよい
      • お互いが幸せに生き、相手に前向きに関わることでお互いによい影響を与えられる と信じる

2016年4月25日月曜日

thought

資本主義はパワフルすぎた、民主主義は弱すぎた、国民国家は根深すぎた。
とか思う自分はナイーブすぎた。

最近の自分のテーマは
  • なぜ動物には権利があるということになっていくのか
  • 正しさや論理ではなく、感情や欲望に根ざしていることを他人に強制することができるのか
  • 市民社会の成熟は個々の成熟・関係性の成熟と相互依存関係にあるけど、どうやって手を付けていくのか
  • 自分は思想によって社会に貢献するのか、事業なのか、姿勢なのか そもそもそれは事前にわかるのか

厳しい資本主義というべき論からの解放を、人に優しい事業の成功から提唱したい。

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