2015年9月8日火曜日

言葉を固めると事業が固まる


自分なりのビジョンが出てきた今となって、自分が事業の舵取りをしていく上でどう人にそれを伝えるか、そして関わってもらうか。それに少し苦しんでいる。

人に物事を伝えるには、その人に刺さる言葉で簡潔に新しい情報を提供しなければいけない。
そもそもわからない言葉があれば思考は止まってしまう。

初めて会った人に活動の概要と意義をぱっと伝えるには、それだけ言葉を選ばなくてはいけないし、枝葉末節をそぎ落とさなくてはいけない。

その場を乗り切るプレゼンテーション、反射神経と愛嬌を十八番に進んできた僕にはなかなか高いハードルである。

人と話して伝わらないときも、最初は「何で伝わらないんだ」とか、「文章や書類より現場を見てほしい」という思いが強かった。でも、今になってその課題に取り組むありがたさをかみしめている。

言葉を固めると言うことは、考えをまとめるということ。
枝葉末節をおとすということは、シンプルな誰もがわかる力強い戦略を作ると言うこと。

それに取り組むことで、力強い事業の芯を見いだすことができるのだろう。

経営者は「言葉のプロフェッショナル」であるべきだ。なにせ自分で動かせる手はしれているのだ。

2015年6月1日月曜日

自分には向いてないなんて言わないでほしい

「自分はXXは向いてないと思います」って言い切っちゃう人に何人かお会いする機会があったのだけど、そういう勘違いはもったいないなぁと思う。だって自分が何に向いてるかどうかなんて、相当やってみないとわからないと思うから。

敵を知り己を知るための戦い

20代で判断するなんて、まだ挑戦したいことがどんなことかも、自分が何者かもわからずほとんど一戦もしてない状態だったりするのに。そんなタイミングで戦いをさける上策なんて期待しない方が良いと思う。

僕自身の話をすると、自分が経営者に向いてるとはとても思えない。でもやりたいことがどうしてもあるから、やらせてもらっている。ない自信を無理矢理引っ張り出して、言い聞かせて何とかやっている。こんなところで躓くのかよ、って自分の事が嫌になったり、何食べてるのかわからなくなったりとか、悪戦苦闘している。
それでも支えてもらってる人たちに教えてもらった
  • 出来ない理由より、やりたい気持ちの方が大切
  • やってみないと結局自分も対象もわかんないよね
  • その苦闘を、プロセスを愛するということが起業するということだし、多かれ少なかれ誰もが経験すること
という確信があるから続けることが出来ている。

「やりたいこと」と「出来ること」と「社会に役立つこと」が重なるところを追求したいけど
  • やりたいことが何かわかったのは本当に最近だし
  • 出来ることよりも出来ないことばかり目に付くし
  • 社会がどう自分を必要としてくれるかなんてわからない
だから、3つが重なってるところなんて自分には見えなかった。

最初っからその3つが重なってるところがあるんじゃなくて、その輪っかを見つけたり、フチにぶつかって無理矢理広げたり、妥協したりして居場所を作っていくんだと思う。

そもそもの勘違いの発端

そう勘違いしちゃうのは、社会の仕組み以上に、自分たち自身の認識によるものが大きいのではないか。

まず冒頭の発言をする人に全般的に感じるのは、単に自信がないというケース。

  • 成功しても失敗しても、自分には価値があると信じ切れない
  • もしくはちょっと屈折して、頑張って頑張って成果が出なかったらいよいよ自分のことを認められなくなるから、挑戦しない言い訳をしているあたりがちょうどよい(自分に刺さる。。)
その背景はキャラクタだったり、幼少期の体験だったり、成功体験にたまたまご縁がない青春時代だったりと、環境のせいだったりする。

あと例えば就職活動をしている人で冒頭発言をする人とかからよく感じるのは、
  • 「営業といえば話がうまい人」みたいに職種とコンピテンシーのとらえ方がステレオタイプでときに間違っていたりする
  • 自分の長所・短所・性格・成熟度は定数だと思っている 

ともに環境や時間の関数だと思う。
その背景は「自分を探して」、「適した仕事を探す」という認識の枠組みや、ときに「志」「天職」という言葉が強力すぎたりするんでしょう。変数多いと考えるの大変だから嫌になってしまうかもしれないし。

自分の意見なのか、大多数の「常識」なのかの区別って難しいですが、やりたいことがあるんだったら批判的・建設的に考えるとよいと思う。

ともかく信じてみてほしい

自転車って最初に練習するとき何度も転ぶと思うんだけど、結局乗れるようになる。なんで人が自転車に乗れるようになるかって、沢山転ぶから。なのに大人になると何度も転ぶのが急に難しくなる。「他の大人は転ばない」って思ってるからかな。みんな転びまくってるぜ。

なんで自転車の時は転びながらも挑戦し続けられるのかって「最終的に自転車にのれるのは当たり前である」って思ってるからだと思う。イメージって大切。

だから同じように、ともかく信じてほしいのは、
  • 「向いてるか向いてないか」なんてほとんど誰にもわからない。少なくともかなり挑戦するまでは
  • 実際問題そんなことより、やりたいエネルギーがあるかどうか、つまり好きかどうかの方が全然大切
  • そしてやり続ければ、色んな抜け穴が見つかる、、、はず。そんなやり方もありなのね、っていう。

ということ。

つまり心の声に従って、やりたいことをやったらいいんです。ただそれだけ。

あえてもう一つ加えるなら「自分の個性や生い立ち」「弱み」「モチベーションの維持」とかってほとんどの人にとって、一生形を変えながらつきまとうものだから(という予感)、すぐ解決出来なくてよいんじゃないかな。


ということで、「本当にやってもいいのかな」と迷っている僕とあなたに向けて綴ってみました。

2014年11月29日土曜日

お金ではかれない価値だからといって、本当に測らないと意味がない

ということでSocial Businessやってるからって利益だけで測られたらたまらないよね(いや、利益も大切だけど)。という思いと、資本主義に対する違和感を頑張って言葉にしてみる。なお、タイトルの「意味がない」は釣りです。

 

全部お金で測って良いんでしょうか?

「全てを金銭的な軸に正射影するから多次元な価値が失われ、金銭的な価値が過大評価されるんだ」という問題意識がある。

例えば、創業社長の社会的な思いが、やがて株式会社になり、2代目社長になり、ステークホルダーが増えていく中で、金銭的な価値(やそれの基となる他の価値)で判断されるようになって、なんのために存在しているのか良くわからなくなるというようなことが起きる。(って大企業の人から聞いたんですが本当に起きてるのかしら)

資本主義で「雇用を守る」ということの価値はほとんど利益を出すこととイコールだから、それが大切です というのはもちろんなんだけど、経営者にとって「雇用を守るために会社がある」、もしくは従業員にとって「雇用され続けるために働く」「雇用によって家族の安心と安全を守る」といったときに、「あれっ、人が集まってなにか作るのってそのためだけだっけ?」という話になるだろう。

利益は必要条件であってゴールでは無い とおっしゃった偉い経営エッセイストもいらっしゃったし、最近だと下記の記事も参考になった。

その意味で、「ほぼ日」は「商品」ではなくて、「友達に譲るもの」を作っていて、それをお金と交換している、というふうに考えています。資本主義というのは、「商品」を「お金」と取り換える仕組みですが、僕らは共同体の中で、「今日、おいしくお芋がふかせたのよ」「うちでは栗ができました」みたいなやり取りをしたい。で、物々交換が大変な時に、「じゃあ、お金でいいよ」みたいな。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20141118/273974/?P=6&mds

もちろんサービスを通じて社会を変革するんだという志がある団体・企業も沢山あるので、企業ダメだ、みたいな話がしたいわけではない。

 

お金で測れないと何が問題なの?

さて、どっちの仕事の方が稼げるかということは比較的簡単に測りやすく比較しやすい。しかし例えば、「どっちの仕事の方が社会に貢献するか」ということはかなり絶望的に測りづらい。(※「社会に貢献しているかどうかという雰囲気をどれくらい直接感じるか」というのはもう少し測りやすいでしょうが)

測れなくて比較できないことは交換できない。交換できないものは色々とスケールしづらいだろう。例えばマネジメント上も改善しづらいし、競争原理が働きづらいし、コミュニケーションが難しいので組織化もしづらいかもしれない。

例えば、どちらのNGOのサービスの方が女性の内面の自立を助けているか ということを効率も含めて比較し選択するのはかなり困難であるため、どちらか一方のNGOのサービスが劣悪だったとしても淘汰されづらい。SROIだって他団体の比較に使うためのものではないと思うし。

 

じゃあお金で測れない価値を追求する僕達は何をすればいいの?

じゃあ明らかに金銭的な価値という軸だけでないところで戦っている僕達はどうすれば良いのだろうか?いくつか考えてみると例えば下記のようなことを思いついた。まぁ結局仕事頑張れ、っていうことですよね、と思う土曜日の朝。

1.測って比べる

測りづらいって自分で書いておいてなんだけど、大切なのは測りづらいことにめげずに測って比べること。社外比較には使えなくても社内での比較には使えるため改善とコミュニケーションは改善出来る可能性がある。これはアウトカムを指標化してそれをとりましょう、と言っていることに近い。

ただ、例えば、人の心の内面や尊厳って本当に測れるんだろうか、測ることに意味はあるんだろうかという課題は常について回る。これは僕の趣味もあるかもしれないけど、それでもめげずに測るべし。

参考になるのは、Social Progress Index( http://www.socialprogressimperative.org/ TEDがわかりやすいかも )みたいなものや、人の社会問題解決能力を測るSPSI-R http://www.mhs.com/product.aspx?gr=cli&id=overview&prod=spsi-r みたいなアプローチだろうか。 人間開発指数とかもそういう意味では頑張っているかもしれない。(貧困指数も最近は複数の指標を組み合わせるIndice型にしているところもあるんだよね とどっかで見た)

評価の話も大切になってきて、きちんと対照群をとって測るとか、出来ればランダム化比較試験して測るということが大切になる。

2.金銭的な価値に置き換えてみる

SROIや、最近はやりの(?)「(例えば再犯防止の文脈で)$1をこのサービスを投下すると社会的コストが$5減ります! ($5かは覚えてないけど英国のSocial Impact債とかこういうロジックだったような)」「(例えば公教育のDropout Preventionの文脈で)$1の援助でこの子の生涯収入は$11増えます (Communities in Schoolの事例)」みたいな形で金銭でコミュニケーションする、という感じ。きちんとした根拠や調査に基づいてこれが出来るとかなりコミュニケーションが加速するイメージがある。最近のNGOの勝ちパターンみたいな。

貧困問題を貧困率で測るとか言うのも近そう。

「管理費率をXX%以下に下げます」みたいのはちょっと違う。

3.サービスを届けるプロセスを管理・改善する

CMMIでも、いやそれこそPDCAサイクルの周り具合でも良いけど社会サービスを届けるプロセスやリソースを頑張って改善し続けるというのも良いだろう。他団体と比べることも出来やすい。優秀な人・組織が良いプロセスでサービスを届ければ、サービスに価値が出やすいだろう という間接的な評価である。これが良いのは人材育成や管理方法などは企業で発展した方法をアナロジーを聞かせて持ち込むことが出来るあたり。

2014年11月10日月曜日

成長について

尊敬する方のTweetをきっかけに考えてみた成長話。抽象的であまりまとまってませんが。

事業に自分の成長をリードしてもらった20代。でも、、

起業してから上司がいないことについて不安な時期が結構あったように思う。しかし今にして思えば、自分の成長をリードしてくれたのは事業であった。リードというか事業が自分の成長の鏡であった気がする。つまり事業を運営していく中で自分の嫌なところや苦手なところなんかは良くわかるわけだし、得意なところが事業の進捗に直結するわけでそういうところを磨いたりしてきた。

何よりも僕は受け身な性格なので、人に「ここ直せよ」「ここ伸ばしたら」「(組織としては)ここを伸ばしてくれたらうれしい」と言ってもらったりとか、尊敬する人のここをマネしたらいいんじゃないか、ということが成長するエンジンであった。

しかし、事業が求める自分になることと、自分が求める事業にすることについて考えてみると、(どちらも大事でバランスの問題とはいえ)あえていえば自分に取っては後者が大事だなぁと思ってきた今日この頃。そう気づくと、事業の慣性に抗って新たな動きを作っていく必要が出てくる。その中で、まず自分自身の成長のきっかけ、方向性、仕方を変える必要があると気づいた。

もう少し具体的にいうと、今の事業の完成度を高めるため、駄目なところを直したり、稼ぎやすい・わかりやすい専門スキルを磨いたり、組織の穴を埋めるという、reactiveなものではないほうがよい。子育てとの両立が大変だからと、効率や能率だけを追求するような働き方でもない。

特定のスキルを否定するわけではない。むしろ、それにいたる自分の選択の起点を見直すことが大切なのではないか。そこでキーワードになるのが「自分の在り方」という言葉である。

自分の在り方に正直に、自分で道を作る30代

自分の成長は自分で決める。うまく言えないのだけど、それは自分の在り方(being)と組織やリーダーシップの在り方を一致させていく作業でもある。そのためには、自分の成長の勝ちパターンそのものを見直すことが必要になってくる。もしくはもっと踏み込んで、自分のキャラ(=自分の頭の中で規定していた”being")としてあきらめていたところも1度リセットするということもあるかもしれない。

なお、事業の方向性、仕事の進め方、仕事と自分の関係性、というだけではなく、家族の方向性、パートナーシップや育児の進め方、家族と自分の関係性という話にも、コミュニティと自分の話にも通じる話。

自分の声を聴き、自分が次に足を出す先を考えて、リスクをとって選んでいくという選択が大切なんだろうな、と考えている。受け身な僕には辛いのだけれど、この先の成長について教科書はあまりない。30代で良い意味でほっぽり出された感覚が持てた。

「在り方に正直になる」を誤解していた話

じゃあ具体的にどうすれば「自分の声を聴いて在り方に正直になれるの」か。

まず、最近の気づきは、メンターからのフィードバックやエニアグラムなどを通じて自分の性格を深く理解したつもりになっていたことそのものが、自分の殻を作っていたということだ。「自分は本当はこういう人である」ということが、自分にとって言霊のように、選択や行動を規定しがちであった。

もちろん20代の格闘を通じて、自分の価値観や経験、自分を形作ってきたモノを知ることは非常に有意義であった。しかし、その一方でそれを知ったとして、「在り方に正直になる」といったときに、ただ自分に取って心地よい状態をキープするというように自分で誤解していたんだと愕然とした。結局自分のコンフォートゾーンにとどまりがちだったというシンプルな話であった。

例えば今の自分に満足していない自分もいるし、性格に合わないけどこういう方向に進んでみたいという自分も自分。そこも含めて自分の声を聴いていきたい。素直に居心地の悪さを受け入れるようなそんな意志決定も出てくるんだろう。やらされるチャレンジじゃなくてやってみるチャレンジというか。

また違う自分と出会う旅に

その結果、自分としても「あれ自分ってこんなこともできるんだ」「こんな事にも感動するんだ」という気づきがあったりだとか、他の人から見て「青木さんといえばXXだと思ってたのに」という期待を裏切ったりすることもあるだろう。

自分の哲学やビジョンを深めたり、逆に手放したり(というかそっと脇に置いてみる感覚?)しながら、意志を大切にのびのびと成長して行きたいと思っております。ワクワクするなぁ。

まぁ成長成長って言ってる時点で若さ爆発してるな、と思うんですがそこも込みで一つ宜しくお願いします。

2014年9月25日木曜日

放下着

メールを作った後に、資料を作った後に、どやっと一言言う前に、ブログを書いて公開するその前に。「私心なかりしか」と自分でチェックするって大切ですね。なんか口やら筆が滑って、後で後悔することが多い自分の戒めとして。

自分が本当に伝えたいことを素直に伝えているのか、志はあるか、自分が凄いと思われたい・かっこいいと思われたい・聞いてほしいという執着はないのか。

執着しないことで手に入るものって沢山ある気がします。でもあんまり考えすぎると何にも出来なくなるから、執着は少しだけにしよう。

2014年6月9日月曜日

無事カンボジアでの父娘暮らし始まりました!

昨年11月30日に日経にて

海外転勤、共働き家族は… 実績・育児両立への道
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFE2501T_W3A121C1TY5000/

という大変素敵な記事を(大変素敵な娘の写真と共に)掲載していただいてから早いもので半年がたとうとしています。

大変時間はかかりましたが、5月25日からこの記事の通り、娘がカンボジアに来て父娘暮らしがはじまりました。沢山の人に助けられて、カンボジアの人達のあたたかさやゆるさにも支えられながらですが、何とか新しい暮らしがはじまったことを本当にありがたく思っています。なによりも、娘が風邪一つひかず、新しい生活を楽しんでくれていることに感謝しています。凄いぞ遙。何なら日本にいるときより肌の調子が良い!

この2週間は怒濤のごとく過ぎ去りました。

  • 6月末から通うインターナショナルスクールへの入学
  • 6月に通わせていただく保育園(カンボジア語Only!)への入学
  • おうちの人達に暖かくそして力強く迎えてもらう(おうちご飯が大きく増えました!)
  • 自分の生活(寝る時間、起きる時間、休日やること)が全てがらりと変わる
  • カンボジア在住5年目にしてやっとバイクを買う
  • 日本人補習校も見学!

などなど色々書いてないことも含めて、子どもが3歳をすぎてやっと「親であること」の大変さと、たまに来る心のそこからの喜びを実感する日々です。

とはいえ、まだまだ子育ても環境を整えるのも、仕事も何もかも課題だらけ。また、自分の身体にもガタが少しくるなど、油断するとダメ!というのを身をもって体験しています。

 

娘の健康と笑顔を第一に、でも自分の仕事を犠牲にすることなく新しい生活を実現できてこその「選択」だと思っています。だっこ紐を付けながらカンボジアでバイクを走らせてる変な親子ですが、きちんと無理なく続けることが出来ればきっとどこかの家族にとっても勇気を与えられると信じて頑張ります。

関係者のみなさま、引き続きご迷惑をかけますが、温かく見守っていただけると幸いです。

DSC06826

2014年5月8日木曜日

プロ野球選手のような仕事人生

朝、チェックインをしていて妄想が広がってグフッとなったので書き留めておく。

プロ野球選手、野球人のような仕事をしたいな、と思った。イチロー、かっこいいよ。イチロー。

※なお、イチローが実際どんなか、っていうのと、野球選手が実際どんなかは知りません。妄想です。

  • 全部の打つべき球を打ちにいっている。振っている
  • ボール球は振らない
  • 筋トレもきっちり。基礎練習もきっちりしている
  • 試合を始める前のストレッチや儀式もしっかり出来ている
  • 健康管理が第一優先
  • オフも楽しみだ!
  • 記録にも挑戦し
  • 変えるべき時に球団も変え、そのTransitionも味わい
  • チームにも良い影響を与え
  • コーチ兼選手であり
  • 地元の野球教室もやっちゃうし
  • ペナントレースもたまに勝っちゃう
  • 野球を楽しみ、見に来た人を楽しませる

という仕事人生でいたいな、と。まず課題の

  • ボール球を見極める選球眼
  • 試合前のストレッチや儀式
  • ペナントレースもたまに勝っちゃう

あたりを今年の課題として頑張ろうかな、と。

上のリストを自分の仕事にあてはめてみると色々気づきがあったというお話でした。

Zenback